さて、ここから再び自然歩道を行く。
深い杉木立の中の道を行くと峠のようなところに出て、突然視界が開ける。
そこには立派なゴルフ場が広がっていた。
ゴルフ場の中に作られた真新しい車道を下って行く。下りきったところで道路と交わり、左が柳生に向かう道である。
ここからすぐに橋を渡って遊歩道に入ると石仏があった。これが「阿対(あたや)の石仏」である。
なぜか柳生街道には石仏が多い。笠置寺の修験者たちが、その道端に石仏を彫ったのためなのだろうか。
さて、小川に沿った道を少し行くとすぐに集落に入る。これが柳生下町で、いわゆる柳生の里というのはこのあたりをさすのである。
ここには「十兵衛杉」があるので、立ち寄ることにした。柳生十兵衛が旅立つときに植えていった杉なのだそうだ。集落から山側に登って行くと墓地があって、その上に十兵衛杉はある。ところが、この十兵衛杉はすっかり枯れてしまっていて、白くなった幹だけが聳えていた。
30年前、私がこの柳生街道を歩いたときはちゃんと葉が茂っていたと思ったが…。
昔、私が初めてこの柳生の里を訪れたときは、空前の柳生ブームの最中であった。というのはその年のNHK大河ドラマが、柳生宗矩を主人公にした「春の坂道」だったのだ。この頃からNHK大河ドラマの舞台が、その年の観光の目玉になるようになってしまったのだ。
今回は静かに柳生の里を巡ることができる。
さて次に訪ねたのが「柳生家老屋敷」。柳生の里の写真では必ず出てくる風景である。
この家老屋敷の隣にも古い家があったが、これは家老家の分家なのだそうだ。でも、観光化されてしまった家老屋敷よりもこちらの方が遥かに風情があるように感じてしまった。
細い路地を行き、学校の裏を通って再び国道に出ると「正木坂」というバス停があった。正木坂というと柳生の道場があったところである。
県道を渡って急な坂を登ると、途中に瓦葺きの大きな平屋の建物がある、これが正木坂道場であった。もちろん最近の建物である。
坂道を登りきったところに、柳生の菩提寺「芳徳寺」がある。寺の門の前まで行ったが、中には入らなかった。
芳徳寺から引き返すと途中に分岐がある。右が私の登ってきた道で、左は「一刀石」と案内がある。一刀石というのは、柳生石舟斎が一刀両断にしたという大岩である。
せっかくなので見に行くことにした。ところがこれはけっこう遠かった。山の中にどんどん入って行く。
途中で中高年のハイキンググループとすれ違ったが、10人余りで賑やかだった。
15分ほどで古い神社の前に着く。「天の立石神社」である。
神社の手前に平たい石が二枚重なって立っている。これをしめ縄が囲んでいた。これが一刀石かとも思ったが、自分が写真で見た感じと違う。これは天の立石神社の御神体で、天の岩戸とされているのだ。
神社から少しだけ林の中に入ると大きな岩があって、それがきれいに割れている。これが一刀石であった。
今年のNHK大河ドラマは「武蔵」である。武蔵もこの柳生の地を訪れている。もちろん、吉川英治の小説の中での話しなのだが、さっきの正木道場を訪れ、柳生四高弟と戦ったりして、最後に石舟斎の庵を訪ねるのだが…。ともかくそんなわけで、今年は再び柳生の里が脚光を浴びることになるかもしれない。
どうでもいいことなのだが、私は吉川英治の「宮本武蔵」が大好きで、この小説は何度読み返したかしれない。小説の中の全シーンが頭の中に入ってしまっている。
この本を初めて読んだのは高校生のときで、夏休みのアルバイトでもらったお金のすべてをつぎ込んでこの本を買ったのである。そのときは六興社の発行する全6巻で、毎週もらうアルバイト料で1冊買えるのだが、それを1日か2日で読んでしまって、次が買いたくてしょうがなかったのを覚えている。
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