東海自然歩道 京都の道



京福電車石山寺駅→石山寺→岩間寺→奥宮→東笠取→西笠取→大吉山→志津川→宇治上神社→宇治神社→宇治平等院

石山寺は是非、拝観したのかったのだが、早朝だったので入れなかった。田園風景の中をのんびり歩いてゆく道は、それなりにのどかで楽しいのだ。
ゴールの宇治は源氏物語宇治十帖の舞台。宇治上神社・宇治神社に参拝して、最後に世界遺産の平等院を訪れた。

宇治平等院

 石山寺から岩間寺へ
石山寺駅前の案内


石山寺の横の公園


石山寺


あじさいがきれいだった


岩間寺境内

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200277

梅雨のさなかで、天気があまりぱっとしない。
天気予報だと曇り時々雨なのだが、気象衛星の写真をみると雨がそんなに降るようには思えない。
そこで、東海自然歩道を歩くことにした。石山寺から宇治まで行ってみようと思う。
西向日発535分の電車に乗って、京阪の石山寺駅に着いたのは645分であった。東海自然歩道もだんだん家から遠くなってきた。
駅前からは国道に沿って歩いて行く。この国道沿いの歩道が石山寺の参道なのだそうだ。降りた駅は「石山寺」なのだから、駅の真ん前に石山寺があると思うところだが、10分以上歩かなければいけない。
木々に囲まれた「朗澄大徳ゆかりの庭園」があって、そのすぐ右が石山寺の山門であった。
時間はまだ7時前で、当然お寺の門は閉まっていた。拝観できずに残念である。
門は仁王門で、この仁王像はけっこうりっぱな造りである。
外観だけ写真を撮って先に進む。国道から別れて古い街並みの中を行く。
高速道路の高架にぶつかると、そこにはたくさんの分岐があるのだが指導標が立っていない。道が分からなくなってしまったが、地図と磁石で方向を確認して車道を進む。次の目的地の岩間寺まではアスファルトの車道を歩かなければいけないのだ。こんな町の中には指導標は立てにくいかもしれない。
高速道路(京滋バイパス)を再びくぐると、傾斜はきつくなって、どんどん山に向かって登って行く。ただし、立派なアスファルトの道である。
赤い鳥居が見えてくると、ここが奥宮との分岐。ガイドブックによると奥宮経由でも岩間寺に行けるらしい。でも地図で確認すると、かなり遠回りになりそうなので正規の道を行くことにした。
急な登りが続いて、息が切れてくる。こんな程度の登りで情けないと思ってしまうのだが、よく考えてみると、めちゃくちゃに暑いのだ。汗だくになっている。
今は梅雨のさなかで湿気が多く、この蒸し暑さはどうにもたまらない。そういう面では栃木(この3月まで栃木県の小山市に住んでいた)と気象は違うと痛感してしまう。
舗装道路の突き当たりが「岩間寺」である。広い駐車場があって、ここから参道に入る。あじさいがきれいに咲いていた。
真新しい仁王像が両脇に立っていて、石畳の参道を行くとすぐに本堂があった。
知らなかったのだが、松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む…」の句はここで詠まれたのだそうだ。



 仏徳山山頂へ
日本一長寿桂


奥宮に着いた


東笠取の集落に着く


夕映えの一本杉


西笠取の立派な野外活動センター


大吉山の案内板


大吉山(仏徳山)山頂の三角点


先を急ぐ事にして、岩間寺本堂の左の道を行く。とたんに細い山道になって、今までの立派な道路は岩間寺に車で参拝する人達のためのものであることがわかった。
少し行くと「日本一長寿桂」という案内が立っていた。
左に下る道があって、その向こうに大きな桂の木が立っている。すばらしく立派な木である。古木には霊が宿るというけれど、本当にそんな気がした。
ここから鬱蒼とした樹林の中を行くと分岐があって、奥宮に行く道が分かれる。奥宮まで500mと書いてあって、そこでは琵琶湖の展望もできるらしい。行ってみることにした。
山道を10分ほど行くと赤い鳥居が立っていて、それをくぐって上に登る石段がある。その登り口の右に展望台があった。ここからは本当に琵琶湖がきれいに見え、瀬田川が悠々と流れている。東海自然歩道では比叡山以後、琵琶湖を眺めながら歩いてきたのだが、これが見納めかもしれない。
石段を登って神社の本殿まで行ってみたが、周りに木々に茂っていて展望はきかなかった。
分岐点にもどる。
ここからは完全な山道になって、すさまじく急な下りが待っていた。
どんどん下って行くと田んぼの中に出て、ここが「東笠取」の集落。田畑の間に続く舗装道路を行くと再び登りになって、疲れたなと思う頃に峠に着いた。ここには「清滝神社」があった。神社の境内で少し休憩。
舗装の道を下って行くと、醍醐寺に向かう道との分岐に着いた。ここが西笠取の稲出の集落で、すぐ近くに小学校の校舎が建っている。
その校舎に横幕が貼られていて、読んで見て驚いてしまうのだが、そこには「新入生募集」と書かれていた。私立学校でもないのに、募集するというのはどういうことだろう、この集落に住んでいる子供がいなかったらどうにもならないだろうが…と余計なことを考えてしまった。
車道を行くと自販機がある。ここでコーラを買って休憩。ともかく異様にのどが渇く。この蒸し暑さにはつくづく参ってしまう。東海自然歩道は夏に歩くものではないと、つくづく思ってしまう。
集落を行くと真新しい野外活動センターがあって、すごい大規模の設備。こんな山の中で収支にあう集客ができるのだろうか、ひとごとながら心配してしまった。
この野外活動センターを過ぎたところで右折して、山に向かって登って行く。
このあたりは、すべて車道を歩くのだ。アスファルトの道はけっこう疲れる。
稜線に登り着く頃から銃声が聞こえるようになった。そうとうやかましい。国際射撃場が近くにあって、その銃声なのだ。
山の上の道をたどって行くと、道の脇には不法投棄のゴミがたくさん散らばっていた。
テレビとか冷蔵庫、ソファ等、などが散らばっていて、こんなことを平気でするような奴って許せないと思ってしまう。
下ったところが「炭山」の集落、ここには陶芸家が集まって陶芸村をつくっているのだ。その陶芸家たちの店が並んでいて、その前を歩いて行くが、私は今もって陶器の芸術性というのがまったくわからない。
ここからは単調な車道を延々と歩いて行くことになる。
採石場を過ぎて、さらにひたすら車道を行くと、宇治と志津川との分岐に出た。
東海自然歩道はここから天瀬ダムに向かうのだが、私は宇治平等院に向かう。
ここで道がわからなくなった。ガイドブックにある地図の通りに行くのだが、どんなに探しても仏徳山に登る道が見つからない。仏徳山をまいて、車道を宇治平等院に向かってもいいのだが、せっかく山があるのに頂上を踏まないのは我慢できない。もう一度分岐点にもどって、地図と磁石を照らしあわせながら歩いて行く。
方角はちょっと違うのだが…と思いながらも、山の中に入って行くと墓地があって、ここから山に上って行く細い道があった。この道を登って行くと、上の方で人の声がする。20人ほどの中高年の団体が円を組んで話しをしていた。そこは道が交わるところで、東海自然歩道の指導標が立っているのを見つけた。うれしかった。
少し登ると東海自然歩道の休憩施設があって、そこから大吉山(仏徳山)山頂に向かう道があった。
登ってみた。山頂には三角点があったが、それはほぼ水平な山道の真ん中にポツンとあって、まったく山頂という感じがしない。樹林の中で展望もきかないのだ。
分岐にもどったところの少し先に展望台があって、そこからは宇治の街を見下ろすことが出来る。宇治橋も見えるし、よく目をこらすと宇治平等院の甍も見えるではないか。登ってきたかいがあった…、と大満足した。



 宇治を行く
宇治上神社に着いた


宇治上神社の浄めの砂


宇治神社


源氏物語宇治十帳の記念像


宇治川を渡って平等院へ


仏徳山を下る。りっぱな遊歩道で、下ったところが「宇治上神社」であった。
宇治は源氏物語の世界である。
源氏物語では光源氏が亡くなったあとも物語が続いて、それが宇治を舞台にした宇治十帳と言われるものである。この宇治上神社も源氏物語の舞台になっているのだ。
宇治上神社の社殿は国宝で、日本最古の神社建築なのだそうだ。拝殿の前に浄めの砂が二つ、三角の山を作っていた。
ここから少し行くと「宇治神社」。この神社の参道を歩いて行くと、宇治川の河畔に突き当たる。そこには源氏物語の像が置かれていた。
赤い橋を渡って中之島を通り、もう一度橋を渡ると宇治平等院に着く。
今日は宇治平等院をじっくり観光しようと思っている。
宇治平等院は10円玉のデザインでも有名なのだが、この鳳凰堂には阿弥陀如来が安置されている。定朝作の国宝の仏像である。
平等院の建物の朱は剥げ落ちていて、鮮やかさはない。なんかみすぼらしく感じてしまう。
それでも、その構造の美しさはさすがで、池の対岸から見ると、けっこう絵になる。
真ん中が鳳凰堂でその両脇に回廊がつながる。その姿は鳳凰が翼を広げた姿に似ているのだ。
池を巡って歩いて行くと宝物館があって、これは新しくできたものだそうだ。
まず、入館するとすぐに鳳凰堂の壁画をコンピュータグラフィックで再現したビデオ上映があった。鳳凰堂の中は本当に極彩色で飾られ、扉にも阿弥陀来迎図が描かれていたのだ。今は風化がすすんで、はっきりとその絵を見ることはできない。最近、その図の模写が進められ、復元図が公開されている。この宝物館の中にも、復元図の写真版が実物大に引き伸ばされて展示されていた。
さらに、何よりもすばらしかったのは雲中供養菩薩をすぐ間近に見ることができたことである。
雲中供養菩薩は鳳凰堂の中の上に掛けられた52体の菩薩像である。臨終に際して南無阿弥陀仏を唱えると、阿弥陀如来が極楽浄土より迎えに来るという。それを描いたのが「阿弥陀来迎図」なのだが、そのとき阿弥陀如来は楽を奏でる菩薩達を引き連れてやってくるのだ。それが雲中供養菩薩である。菩薩達はそれぞれ雲に乗り、楽器を持っていてそれを演奏している。極めて躍動的で、平安期の彫刻の傑作だと思う。これをじっくり見ることができた。よかった…。
平等院の鳳凰堂も拝観しようと思ったが、別に拝観料を払わなければいけないし、最もみたかった雲中供養菩薩も見ることができたので、省略することにした。
JR宇治駅からJRに乗って帰った。



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