東海自然歩道 京都の道


京阪宇治駅→天ヶ瀬吊り橋→もみじ谷→藤原寛子の十三重石塔→白山神社→くつわ池登り口→郷の口→御栗栖神社→地福谷→大道寺登山道出会い→金胎寺→和束町原山→童仙房→野殿→押原→月ヶ瀬口駅

今回歩くのは9時間コースと思って出かけたのだが、本当は12時間のコースであった。
茶畑が広がる

 宇治川から白山神社へ
京阪宇治駅

宇治川には釣り人が多かった


興聖寺の門


天ヶ瀬吊り橋を渡る


もみじ谷入口


藤原寛子の墓という石塔


白山神社


BACK 石山寺から宇治へ


冒頭、「山と渓谷社」の悪口を書いてしまう。
私は、関西に引っ越してきて、改めて東海自然歩道のガイドブックを買った。
カラー写真が多くて、地図もしっかりしたもので、標高差のグラフまで登載されてている。けっこう気に入っていたのだが、とんでもないミスプリがあったのだ。おかげでひどい目にあってしまった。
私は、東海自然歩道を歩くとき、スタート地点までは出来るだけ鉄道で行こうと思っている。バスだと時間がわからないのだ。このため、多少は無理してもゴールは鉄道の駅のあるところまで歩く計画をたてる。
さて、今回歩いたのは宇治から月ヶ瀬までである。ガイドブックはこの間を3つに区切って紹介してあった。宇治から郷ノ口まで2時間50分。郷ノ口から原山まで3時間25分。そして原山から笹瀬橋まで2時間40分である。合計で8時間55分、約9時間の行程になる。これなら何とか1日で歩けると思ってスタートした。
ところが、この中の原山から笹原橋までの時間が間違っているのだ。このコースの距離は26kmである。26kmの距離を2時間40分で歩くことは不可能である。それなのに、ガイドでは区間ごとにもっともらしい時間が記載されている。原山〜三ヶ岳南の峠は標高差200m以上の登りで、この5kmの道程が40分の時間。そして次の童仙房泥沮寺までは3kmで20分となっている。合計8kmを1時間というのは平均(1km15分)の半分で歩くということある。しかも、登りの道を、である。
次の区間はさらにひどい。野殿までは6km以上あるのに20分とあって、さらに押原までの8kmの区間は50分である。全コース、走れといっているようなものではないか。こんな最も初歩的なミスプリントをするなんて、山と渓谷社がアウトドアの専門誌の会社であることを考えると、いささか情けない。
私があえてこんなことを言ってしまうのは、登山において使うガイドはほとんどすべてが山渓社のもので、最も頼りにしているからなのだが…。


20021215

今日は、夏の間中断していた東海自然歩道の続きを歩こうと思う。
77日に宇治まで歩いてそのままになっているのだ。もう、5ヶ月のブランクがある。もっとも、私は夏の間は登山をすることにしていて、冬になったらこうしたハイキングコースを歩くことにしているのだ。
京阪の宇治駅に着いたのは7時半頃であった。宇治川の右岸を歩いていく。朝早いというのに、宇治川には釣り人がたくさん入っていた。今は鮎の時期なんだろうか。
川面には薄く霧がかかっていて、すばらしい眺めである。白い水鳥が飛んでいたりする。
宇治川の対岸に大きな石塔が見えた。宇治川中の島に立つ十三重の石塔なのだ。

川辺に沿って歩いていき、観流橋を渡ると「興聖寺」の門があった。入口には「曹洞宗高祖道元禅師初開之道場」と刻まれた石柱が立っている。立ち寄りたかったが、まだ開門していないだろうとパスした。
30
分ほどで天ヶ瀬吊り橋の前に出て、この橋を渡る。左岸を宇治側に少し引き返すと、もみじ谷への入り口があった。もみじ谷はその名の通り、秋には紅葉がすばらしくきれいらしいのだが、今は12月。もう葉も散ってしまって、もみじの枯れ葉を踏みながら歩いていく。深い樹林の中で、谷も深い。人にもまったく会うことがなく、この暗い谷を歩いて行く。
前方が明るくなるとようやく谷を抜けて、人家の脇に出た。そこには九重の石塔が立っていた。これは後冷泉天皇皇后の藤原寛子の墓なのだそうだ。この周りには五輪塔がたくさん並んでいた。
ここからすぐが白山神社である。
長い石段を登って、重要文化財の拝殿を見に行った。ちょうどこの日は、近所の氏子の人達が神社の掃除をしていて、おじいさんおばあさんたちが箒で枯れ葉をかき集めていた。おかげで、きれいに掃除された石段を登って参拝できた。




この本には間違いが多くてかなりひどい目にあった。今は絶版になっている。

 御栗栖神社へ
白山神社の指導標、くつわ池まで3.7km


くつわ池登り口に着いた


三社御旅所


御栗栖園故郷跡


御栗栖神社


御栗栖神社前の休憩所


この白山神社を後にして、指導標に沿って歩いていくと、樹林の中の沢に沿った道になる。
さっきのもみじ谷の上流にあたるのだろうか、雰囲気がよく似ている。
この山あいの道を抜けると、広い車道に出た。舗装の道を1kmほど歩いていくと、再び 細い自然歩道に入る。
これも1kmほど歩くと、またまた車道に出てしまう。
あとは、郷の口までひたすら車道歩きである。長い、ダラダラと続く登りの道で、歩いていて臭いなと思ったら、大きな養鶏場があった。道端には卵の直売場の看板が出ていて、お土産に新鮮な卵を買おうかと思ったが、まだまだ先は長い、ジャマになるだけなのであきらめた。
養鶏場を過ぎると、指導標が立っている。「くつわ池」の入り口なのだ。地図を見ると、自然歩道はこのまま車道を歩いて郷の口まで行かなければいけない。
アスファルトの道を歩き続けるのはつまらないので、くつわ池を経由して郷の口へ行くことにした。
池への道に入るとすぐに駐車場の入り口があって、そこには有料と書かれた看板が立っていた。駐車場に入らずにまっすぐに行くと、道はどんどん下って行く。地図で確認したら、くつわ池にはさっきの駐車場のほうに曲がらなければいけないということがわかった。結局、くつわ池を見ることなしに、敷地を通り抜けただけになってしまった。
さて、この先はすごい下りが待っていた。車道なのだが、曲がりくねりながらどんどん下って行く。下に国道がみえるのだが、はるか下にある。いままで、ずいぶん高いところを歩いていたということに気がついた。
下りきったところにバス停があって、「くつわ池登り口」となっていた。たしかに「登り口」という名称はふさわしい。
ここからは車の頻繁に行き交う道を行く。
ようやく郷ノ口の街の中に入ると、自然歩道の指導標を見つけた。これで、コースに戻れた。

さて、この郷ノ口からは金胎寺に向かうことになる。
広い車道を渡ったところに「三社御旅所」と書かれた鳥居が立っていた。この隅に自然歩道の休憩所が設けられているので、少し休憩することにした。ついでに、この鳥居の奥にある建物を見に行ったが、これは神社ではなくて、祭りのときに御輿を置く場所なのだ。
集落の中を歩いていく。斎田神社の前を通り、すぐに右折して、なにかしらひどく落ち着いた感じの街中を行く。
集落を抜けると茶畑が広がっていた。この茶畑の中の道を少し行くと石碑が建っていて、御栗栖園故跡とある。この写真を撮っていたら、すぐ近くで茶畑の作業をしていたおじさんに「ジュウブセンに行くのか」と話し掛けられた。なんのことかと思ったら、私がこれから行こうとしている「金胎寺」は鷲峰山にあって、この鷲峰山は「ジュウブセン」と読むのだ。知らなかった。
さらに10分ほど行くと、右手に杜が見えてきた。これが御栗栖神社である。
神社の向かいには自然歩道の休憩用の東屋が建っていた。その横に新しいトイレもある。
ここで少し休憩することにした。
ただ、この休憩所の隣の民家が犬を飼っていて、それもかなり大きな犬で、大きな檻を設けてある。その犬がしきりに吠えてうるさかった。



 金胎寺
地福谷への分岐


林道をひたすら歩く


大道寺登山道出会いの休憩施設


金胎寺山門


金胎寺境内


多宝塔


さて、ここから金胎寺まではアスファルトの道を行かなければいけない。これが長い。
緩やかに登って行くと次第に山の中に入っていく。
車道が橋を渡る手前で左に入る道があった。これが自然歩道の地福谷の道である。
これもやっぱり舗装された道で、ダラダラと登って行く。深い林の中の道を15分ほど歩くと指導標が立っていて「ふるさとの森」とある。この道は木の階段で整備されていて、左の斜面を登っていくようになっている。この道の方がいかにも自然歩道らしい。地図を見ると金胎寺の手前で大きなS字カーブがあるので、もしかしたらこのショートカットコースだろうかとも思ったが、どうも感じが違う。
そのまま車道を行くと左手から林道が合流してきた。看板があってそれを見ると、ここが白谷林道始点ということがわかった。さっきの道に入らなくてよかった。
時間を確認すると、予定よりまったく遅れていて、金胎寺まではあと1時間以上かかりそうである。
長い舗装道路歩きで、だいぶ疲れてきている。(実際はガイドブックの標準タイムが間違っているのだ)
1時間歩いて、ようやく大道寺登山道出合に着いた。ここには自然歩道のりっぱな休憩施設がある。私がここに着いたとき、5人ほどのグループが休んでいたのだが、ちょうど出発して行った。彼らが座っていた椅子テーブルに座り込んで休憩。
冬なので魔法瓶を持ってきている。このお湯でポタージュスープを作って飲んだ。うまかった。
休憩所からは、かなり傾斜のある道を30分ほど歩かなければいけない。
車道から左に登って行く道があって、金胎寺参道と書かれていた。やっと着いたようだ。しかし、さらに10分ほど歩かなければいけなかった。高い杉木立の間の道になってその突き当たりに寺門があった。金胎寺に着いたのである。この参道には幟がいくつも立てられていて、その中に「役の行者」の文字を見つけた。この寺は役の行者ゆかりの寺なのである。
山門をくぐると、境内には自然歩道の休憩用の椅子・テーブルがあった。
ここで軽く食事をして休憩。
パンをかじりなが境内の中を見てまわると、案内板があって、それによるとこのお寺には修験道の回遊コースがあるのそうだ。さすがに役の行者の寺である。このコースは有料ということで、お寺の庫裏の門から入らなければいけない。時間もないので、これは省略した。
次に多宝塔を見に行く。一旦、寺門を出て急な坂道を登って行く。
修験道に祈祷場はつきもので、この参道の途中にはそうした祈祷場があった。
多宝塔は石山寺のものが有名なのだが、ここの塔もけっこう素敵である。鎌倉時代後期のもので重要文化財に指定されている。
この境内の奥には役の行者のお堂があった。
その前は祈祷場になっていて、その空間が縄で仕切られている。
多宝塔の横からさらに登って行くと、鷲峰山の山頂である。山頂には大道寺登山道出合であったハイカー達が休憩していた。
山頂には重要文化財の石塔が立っている。
山頂の標識はなかったが、この石塔がその代わりのようだ。



 茶畑の中を月ヶ瀬駅へ
柿が赤く実っていた


原山のバス停前、鷲峰山参道口


原山の集落に入って行く


谷あいのすべてが茶畑


林道出会いの峠

日が傾いて私の影


童仙房の林道に出た


童仙房山荘


童仙房の泥沮寺


野殿の集落、もう暗くなった


月ヶ瀬口駅


鷲峰山山頂を後にして、寺門まで戻る。歩いてきた道を少し引き返すと、左の谷に向かって下って行く細い道があった。これが自然歩道の原山に向かう道である。林の中の急な下りの道で、どんどん下って行くと、次第に下の町並みが見えてくるようになる。
展望が開けたと思ったら、そこには一面の茶畑が広がっていた。かまぼこ型にきれいに刈り込まれて、それが山の斜面、見渡す限りにいくつもいくつも並んで広がっている。これって、能登の段段畑に匹敵するすてきな眺めだと思ってしまうのだ。
この茶畑の中の急な道を下って行く。茶畑の中には大きな扇風機のようなものが立てられていて、何なのだ…と思ってしまうのだが、これは霜対策なのだ。
集落の中に入って、細い道を何度も曲がって下って行く。ようやく国道に出ると、そこには石の柱が両脇に立っていて、鷲峰山参道とかかれていた。
このすぐ向かいにバス停があった。このバス停の待ち合いの中で少し休憩。時間を見ると14時半を過ぎていた。
ここからさらに月ヶ瀬まで歩こうと思っている。時間的にはかなりきびしい。日が暮れてしまいそうである。
しかし、次回歩き始めるときに、バス停からとJR駅からとでは大きく違ってしまう。
今日は無理をしても月ヶ瀬まで行ってしまいたいのだ。
バス停の横の道を下って行く。すぐに小川にかかる橋の前に出た。道は分かれていて指導標はたっていない。地図を広げていたら、道でトラックに農機具を積み込んでいたおじさんが「童仙房」に行くなら真っ直ぐの道だと教えてくれた。やっぱり、このコースを通るハイカーが多いのだろう。
このあたりが原山の集落である。田んぼの中を行くと、すぐに登りの道になって、この道の両脇は茶畑であった。
急な坂道が茶畑の中を縫うように続く。道はすべてアスファルトかコンクリートである。足の底が痛くなって、だいぶ疲れもたまってきた。でも、登って行く途中から見る茶畑の景色はすばらしい。谷あいになっていて、その全てが茶畑なのだ。
道端のすぐそこにも茶葉が茂っているので、葉っぱを1枚千切ってみた。においをかいでみたが、まったく無臭であった。お茶というのは培煎されてはじめてお茶の香りになるものらしい。
どんどん登って行く。山の稜線の道になるが、それでも道は舗装道路であり、次々に茶畑が現れる。私は今、童仙房に向かっているのだが、この「童仙房」というのがよくわからない。単なる地名なんだろうが、なにかしら特別な響きがある。ガイドによると、このあたりは昔、公家たちの入植地だったそうで、京の都の避暑地、今の軽井沢のようなものだったらしい。
確かにずいぶん登ってきたという思いがするから、高度もあって涼しかったのだろう。
ひどく疲れてきて、地図の距離と自分の距離感覚が狂ってきている。ずいぶん歩いたつもりが、標準歩行時間に対してすさまじく遅れてしまっている。(それは当たり前で、ガイドの時間が間違っている)
山から突然、広い道路に出た。このあたりが「童仙房1番」であった。童仙房は1番から9番まであるらしいのだが、これは番地のようなものだろうと思う。この1番に着いたのだが、私の感覚ではもう4番くらいに来ているつもりでいたのだ。
広い道を歩いて行くと集落の中に入って行く。ガイドブックにあった民宿童仙房山荘があった。これで四番まで来ていることがわかった。この童仙房山荘の前の自販機でジュースを買って飲んだ。うまかった。
ここから少し行くと泥沮寺の入口がある。ここには自然歩道の休憩所があるのだが、もう薄暗くなっているので先を急ぐ。

さて、ここからも長い舗装道路をひたすら歩かなければいけない。野殿のT字路に着いたのは17時半近かった。もうあたりは薄暗くなってきた。ここでザックからヘッドライトを取り出した。
このヘッドライトは最近買ったばかりで、一度使ってみたかったのだ。これは優れものである。電球は発光ダイオード(今はLEDと呼ぶのが一般的だが)を使っていて、これが3個ついている。なによりもすごいのは、単4電池3個で発光ダイオードは10時間も点灯しつづけるのだ。
野殿の集落を過ぎるとすぐに下りの道になった。この下りが、すさまじく曲がりくねっていて、蛇行を繰り返しながらどこまでも続いているのだ。車はほとんど通らない。童仙房というのは車も通らない辺境の地なのかと思ってしまった。
空には半月がかかっていて、その光がけっこう明るい。
白い月の光の中を、一人で歩いて行く。けっこうロマンティックである。
延々と歩き続けて
1時間、ようやく国道に出た。今までの静けさから一転して、すごい車の通行量である。歩道の部分が狭いので、車に気をつけながら歩いて行かなければいけない。安全のためにヘッドライトを点けた。
自然歩道は押原というところから国道を離れて、山道に入るのだがこれは止めた。疲れてもいるし、真っ暗な山道を歩くのは危険である。このまま国道を歩いて、JR月ヶ瀬口駅に向かうことにした。
駅に着いたのは18時半であった。時刻表を見ると次の列車は1854分、駅のベンチでなんか食べようかと思ったが、食料はすべて食べ尽くしていて何もない。駅前にはお店もなかった。
ここからまず加茂まで行く。この間は関西鉄道という、第三セクターの鉄道で、JRではないのだ。ワンマンカーで、乗るときに整理券を取らなければいけない。
加茂駅でJRに乗り換える。ここで車掌さんから切符を買った。加茂から乗るのは1区間だけで、次の木津駅で再び乗り換えなければいけない。これが奈良線である。
奈良線木津からはたった3駅で奈良なのだ。もう奈良のすぐ近くまで来ているということである。木津から乗った京都行きの列車は各駅停車で、ウトロウトロしているうちに宇治に着いていた。ここで快速に乗り換えることにした。
京都駅に着いたのは830分頃。家に帰りついたのは9時を過ぎていた。



NEXT 月ヶ瀬から笠置へ


BACK 東海自然歩道 京都の道





総合TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  自己紹介












inserted by FC2 system