東海自然歩道 奈良の道  .


奈良公園→若草山→春日大社→新薬師寺→白毫寺→崇道天皇稜→円照寺→柳茶屋→弘仁寺→西名阪自動車道→豊日神社→石上神社→天理


奈良公園を散策してから、自然歩道を歩き始めた。早春の古寺を巡る楽しいコースであった。

円照寺

 新薬師寺と白毫寺
若草山から下山して自然歩道と合流する


春日大社への入り口を振り返る


新薬師寺


新薬師寺の薬師如来(ポスター)


白毫寺の入口


椿が咲いていた

BACK 滝坂道を行く



2003年3月23日

奈良公園の観光を終えて、自然歩道を歩き始める。
まず、新薬師寺をめざす。
新薬師寺の「新」というのは、西の京にある薬師寺に対して新しく造られたからだと思うだろうが、実はそうではない。霊験アラタカの「新たか」なのである。

新薬師寺の本尊はその名の通り薬師如来で、特徴は目が異様に大きいことである。何でも、皇后が目を病んだときにその平癒を祈って建立されたからなのだそうだ。
新薬師寺で有名なのは十二神将像である。その中でも特に伐沙羅大将が有名である。
久しぶりなので、拝観して行くことにした。門を入ると正面に本堂がある。この建物は天平時代のもので国宝なのだ。屋根の形がなんともいえず、いい。
中に入ると真ん中に薬師如来が座していて、それを十二神将が丸く取り囲んで立っている。造仏当時は彩色されていたのだろうが、今は白い塑像である。写真で受ける印象より、実物ははるかに小ぶりである。
昔、初めてこの十二神将を見たときは、けっこう感動したのだが、今回はそうした感慨が湧いてこなかった。神将というのは荒ぶる神なのに、その動きが感じられない。なにかしら、ただ突っ立っているだけという感じなのだ。
イマイチだった。
新薬師寺から白毫寺を目指す。
古びた町並みの中を行く。この界隈を「高畑」というのだが、堀辰雄は「大和路、信濃路」の中でこの高畑のことを書いている。このあたりには古びた土塀がいくつも連なっているのだが、その荒廃し崩れた感じがすごくいいと言うのだ。
堀辰雄がこのことを書いたのは 年も前のことで、その頃から比べるとこのあたりもずいぶん変わってしまっているんだろうが、それでもその雰囲気をわずかながら感じることができる。
白毫寺は坂を少し登ったところにある。
けっこう急な石段を登って行く。
ここは萩の寺とも呼ばれて、花のきれいなところである。
今回は椿と梅の花がきれいだった。境内には「五色の椿」もあるのだ。
本堂には阿弥陀如来が本尊で、両脇には地蔵菩薩と文殊菩薩が置かれていた。
阿弥陀如来の脇時は勢至菩薩と観音菩薩なのだが、この地蔵と文殊はただ単に両脇に置かれただけのもので、本来のものではないようである。
本堂には他に鎌倉時代作の閻魔大王とその眷族の仏像が置かれていた。この寺は天平時代の雰囲気が濃厚であるため、鎌倉期の仏像はどうもそぐわない。私のごく個人的な好みの問題なのだが…。
白毫寺は高台にあって、奈良の市街が見えるはずなのだが、あまり展望はきかなかった。はるか遠くに大仏殿の屋根が見えることを期待していた私としてはがっかりである。
寺門を出て参道の石段を下って行くと、連なる土塀の上には椿の花が咲いていた。右には白い梅の花が咲いている。花の寺にふさわしい風景である。



 円照寺と弘仁寺
田んぼの中の道を行く


圓照寺の門


圓照寺


柳茶屋


弘仁寺境内


自然歩道に戻って、田んぼの中の道を行く。いかにも奈良の郊外といった風景で、その上歴史も感じさせる。
途中「鹿野苑」というところがあるので、どんなところかと楽しみに歩いて行った。でもかなり歩いたと思うところで白山比盗_社に着いた。これで、通り過ぎてしまったことがわかった。

国道を横切ったり、田ぼの中に入ったりして歩いて行くと、崇道天皇の御陵の前に出た。
ここから山側に向かってしばらく行くと、両側に黒の柱が立つ門に着く。この先が圓照寺である。
このお寺にはけっこう思い入れがある。

私が30年前、大阪に来たばっかりで、さかんにお寺巡りをしていたときに、三島由紀夫が「豊穣の海」という3部作の小説を発表した。その第1作は「春の雪」というのだが、そのなかにこの円照寺が登場するのだ。
私が初めてこの寺を訪れたのは春真っ盛りの頃で、帯解から円照寺に向かって歩いて行くと、田んぼにはレンゲの花がいっぱい咲いていた。

今、こうして歩いていると、その頃の雰囲気とはまったく違ってしまったような気がするのだが、それでもなぜかひどく懐かしい。
円照寺は拝観を受け付けていない。門の前まで行くだけである。寺に近づくと、杉木立の中の道になって、しんとした「気」が満ちてくる。
門をくぐると、お寺の玄関までは小石が敷き詰めてあって、それはきれいに掃き清められている。その敷き詰められた小石の中を、真っ直ぐに飛び石が続いている。玄関もけっこう趣があるのだ。
中に入れないのは残念なのだが、この雰囲気を楽しんだだけで、来たかいはある。
さて、寺の門を出てすぐに、左の丘に向かって上がって行く細い道がある。自然歩道は国道まで戻らなければいけないのだが、ショートカットすることにした。
登って行くと大師堂があった。
ここから下ると田んぼの道に出て、すぐに自然歩道と合流する。
広い車道をしばらく行くと分岐があって、ここが柳茶屋。
弘仁寺をめざす。
車道を離れて、山に向かって登って行くと、石段があった。これを登りきったところが弘仁寺であった。
ここで休憩。
特に拝観するというものもなくて、境内をうろうろしただけである。



 石上神社を参拝して天理へ
西名阪自動車道に沿って行く


石上神社近くは石畳道


石上神社に着いた


石上神社を後にする


天理駅に着いた


弘仁寺を出て白河溜め池を目指す。地図を見ると、なぜか大きく迂回したコースになっている。ショートカットできるのではないかと、自分の決めた道を行くと、天理学園の体育施設の中に侵入することになった。多分、私有地なのだろうから、自然歩道はこれを避けるためにあんなコースになったのだろう。
白河溜め池は遥か遠くに見えた。遠回りでも池沿いの道を行った方がよかったかも知れない。
行く手には「西名阪自動車道」が立ちふさがって、自然歩道はこれを横切るために左に大きく遠回りすることになる。
しかし、高速道路の壁面には付近の住民のための小さなトンネルが開けられている。
これを通って向こう側に出た。少しだけ、歩行距離を短縮できた。
高速に沿って歩いて行くとV字に曲がって、今度は山側に向かう。
山の裾をたどって行くのだが、行く手には天理教の大きな施設が見えてきた。
天理市というのは、本当に天理教の宗教都市である。平野部を見渡すと、神殿の大きな甍の屋根とか、宿泊施設がたくさんみえる。それらが天理市を形造っているのだ。
石上神社の手前に豊日神社がある。そんなに大きな神社ではないのだが、鳥居の下の石段に腰掛けて休憩した。すぐ前には数本の梅の木が立っていて、白い花が満開である。そしてその下には黄色い菜の花が咲いていた。春なんだなあということに、今更ながらに気づいてしまった。
ここから少し行って国道を渡ると「石上神社」である。
私は神社の裏から入って行くことになった。参道のような道を行くと、突然、楼門が見えてきた。
石上神社といったら、有名なのが国宝「七支刀」である。
見て行きたかったのだが、省略した。次回の自然歩道歩きに来たときに、寄れたら寄ろうと思う。
石上神社からは真っ直ぐに西に向かい、駅をめざす。
天理市街を行くと、天理教の大神殿の前を通ることになった。
宗教にとって、教育というのは欠かせないものらしい。この天理市を歩いていても、大きな建物は、地方から研修に来た信徒のための宿泊施設なのだ。
この天理の街を歩いて行くと、襟に専修学生と書かれた黒いハッピを来た若者が目に付く。これってのもすごいと思うのだ。私の感覚では、今の若者達が宗教にはまるというのはほとんどありえないと思いこんでいたから。ともかく、この天理教一色の街を横切って近鉄の天理駅に着いたのは、17時であった。
空が夕暮れてきた。

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