再び県道に合流すると、「大島入口」のバス停と、「大平」まで2kmの道路標識があった。さらに10分ほど行くと「中大平」のバス停があって、そのすぐ先、茶畑の中に大きな岩が見える。驚いたことに、その巨岩の上に火の見櫓がたっていた。このあたりは一面の茶畑なのだが、その中に点々と巨石が散らばっているのだ。
「大平」のバス停に着くと、そこには鎮札神社入口の石碑があった。私の昔のガイドブックによると、昔、このあたりに「産けろう」という妊婦だけがかかって死ぬ病気が流行し、それを鎮めるために祀った神社だという。この入口から、神社はどこかと見回したが、遠そうなのでやめてしまった。
神社入口から少し行くと、「大平青少年の家」があったが、閉鎖されていた。公民館のような建物で、その前に小さなグランドがあった。
大平の集落を過ぎると、興津川の幅はずいぶん狭まって、その流れのすぐ横を歩いて行く。もうすぐ大平キャンプ場があるはずだ…と思って、注意しながら歩いたのだが、結局、気がつかなかった。
車道は一面の茶畑の間を緩やかに登って行く。林の中に入ると左にカーブして、坂道を登って行くと大きな岩があった。これが「軍艦岩」であった。形は軍艦のようなのだが、地元の人は「かあご石」と呼ぶらしい。昔、弘法大師が籠を背負って山を下る途中に、この辺りの岩で休んだいうう伝説があって、今も、籠を置いた跡が残っているという。
この軍艦岩には、上に登る踏み跡があるので、上ってみることにした。
木の根が網のように張り出す急斜面を登って岩の上に着くと、そこは意外と広いのだった。伝説の籠の跡を探したのだが、よくわからなかった。
時間は9時40分になっていた。今日はすごくいい天気なのだが、そのぶん日差しが強い。もう汗だくになっていて、休憩も多くなっている。水の消費の多い。まだ朝だというのにバテバテである。軍艦岩の前でしばらく休憩した。
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