BACK 笠置から柳生へ
2003年1月12日
大柳生の里に着いたところで、バス停に向かう道の反対に曲がって、畑の中の道を行く。
山間の道を行き、再び国道と合流するとそこが忍辱山町で、ここに円成寺がある。
忍辱山円成寺は運慶作の大日如来像で有名である。この国宝に指定されている仏像は運慶25歳の頃の作品だという。私はこの仏像が好きで、せっかくここまで来たのだから見て行きたい。
国道を渡ると池がある。ここはもう円成寺の境内で、けっこう有名な円成寺庭園なのである。池の水は、日陰になったところは凍っていた。寒いのである。
この円成寺拝観受付前の石段に腰掛けて、軽く食事をした。庭園を眺めながらのんびりしてしまった。
さて中に入ると、すぐ右に多宝塔がある。
鮮やかな朱に塗られていて、1階の扉が開かれていた。そこにはガラスがはめられていて、中を覗いてみたら私が見たかった大日如来が座していた。
すばらしい顔の造りで、さすがに鎌倉時代の仏像は完成された美しさを持っている。
私は、すばらしい仏像は鎌倉期までだと思っている。室町以降の仏像は、細工は緻密だが、全体としての迫力がなくなってしまうのだ。仏師の心が感じられないのだ。なんと言ったらいいのだろう。芸術家が創造する「作品」から、単なる「工芸品」に変わってしまうという感じなのだ。
いずれにしろ、仏像で見るべき作品はせいぜい鎌倉までだと思っている。
なにはともあれ、この運慶作の大日如来はすばらしい。
この仏像を見ただけで十分目的は達したのだが、せっかくなので本堂にも上がってみることにした。
これが意外なほどすばらしかった。本尊は平安時代の阿弥陀如来で、重要文化財である。
それよりも私が感じ入ってしまったのは、本尊の須弥壇を囲む4本の柱に書かれた来迎図である。
阿弥陀如来というのは、平安時代に信仰を集めた仏であるが、その時盛んに阿弥陀如来像が造られ、絵も書かれた。
たとえば宇治平等院鳳凰堂の扉にも来迎図が描かれている。
来迎図が柱に描かれるというのは本当に珍しいのだ。ところが残念なことに、かなり風雨にさらされてきたらしくて、絵がかすれてきている。
それでも、菩薩達の描き方はすばらしい。これに見とれて、ずいぶん時間を費やしてしまった。
本堂から出てから、石垣の上に立つ鎮守社を見にいった。春日堂・白山堂で、全国で最も古い春日造りの社殿である。国宝に指定されている。
もうひとつ、覆い屋根のかかった古い神社があった。これは重要文化財の宇賀神本殿で、鎌倉時代のものだそうだ。
|