指導標に従って歩いて行くと、東屋があって、その先に分岐があった。そこに立つ指導標には落石があるので迂回路を通ってくれと書かれたカードが下がっていた。ところがそこに書かれている地図がよくわからない。現在地が書かれていないのだ。
ともかく自然歩道の指導標に従って歩いて行くことにした。
しばらく行くと、流れから離れて上に登って行くようになる。登り切ったところはスポーツ公園で、野球場とかサッカーグランドが広がっていた。この公園の中に作られた真新しい道を行く。
どんどん登って行くと竹林に入って行き、これを抜けると萩谷の集落に着いた。この集落には、けっこう古い感じの家があって、情緒がある。
萩谷の集落から一段登るとアスファルトの広い道に出た。そこにはバス停があって、横に新しい東海自然歩道の案内板が立っていた。
自然歩道はこのアスファルトの道を南下するのだが、この道は春だと桜の並木のすばらしいコースなのだ。でも今は2月、花を期待してはいけないのだ。
私はもう一つの「健脚コース」という、山に向かって登って行く道を選んだ。
緩やかな登りが続く。山道を登って行くと、竜仙峠に着いて、最後に急な道を少し下ると滝の前に着いた。これが「竜仙の滝」である。
私は滝が好きで、すごく期待していたのだが、水が少なくてまったく迫力がない。でも、細々と落ちている感じも情緒があっていいのかもしれない。
この滝からはすさまじく急な道を下る。これで健脚コースの意味がわかった。反対側から来たら大変だろうと思う。下りでよかった。
アスファルトの広い道に出て、これを少し行くと橋がある。その手前に左に入って行く広い道があって、そこにも立派な自然歩道の案内板が立っていた。これが萩谷から来る自然歩道の一般コースなのである。
橋を渡ると右に入る林道があった。「車作」集落に向かう道である。どんどん登って行くと集落の中に出た。すごい山の中で、急斜面にへばりつくように家が建っている。
この地では良質のケヤキを産し、それで作った御所車を天智天皇に献上したのだそうだ。そのことから「車作」の地名がついたらしい。
自然歩道から車作の集落が見下ろせる。本当に山の斜面に作られた集落である。
集落を見下ろしながら歩いて行くと「経塚碑」に着いた。ここは清水寺廃寺跡である。この経塚は高山右近が切支丹宗を信仰し、清水寺を焼いた時、その僧徒が逃れた経文を埋めたという伝説があるのだ。
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