東海自然歩道 滋賀の道.



石山寺→南郷洗堤→田上枝町→迎不動→泣不動→太神山→三筋の滝→田代→紫香楽

東海自然歩道は、石山寺でコースが分かれる。奈良に向かう道と紫香楽へ道である。実は紫香楽に向かう道の方が本コースなのだ。
今回はこの本コースを行く。
今回の一番の楽しみは「湖南アルプス」を行くことである。


信楽のタヌキ

 石山寺から枝集落へ
京阪電車に乗り換える


石山寺は閉まっていた


本コースとの分岐点


南郷洗堤から見る瀬田川


石井橋、田上公園はもうすぐ


のんびり田舎道を行く

BACK 南滋賀から石山寺



2003524


今日は東海自然歩道の「本コース」を歩くことにする。
最近は奈良の道を歩いているのだが、もう一度石山寺に戻って、滋賀県の道を行く。
朝、一番の電車に乗った。
山崎でJRに乗り換えて、石山まで行く。ここで京阪線に乗り換え。乗り換えの時間は7分しかないのだが、すぐそばにコンビニがあったので、今日の食料を買った。
電車は石山寺が終点。私の他には乗客1人だけだった。
駅から国道に沿って歩いて行く。これが石山寺の参道なのだ。
石山寺を拝観したいのだが、朝早いために門は閉まっている。残念である。
石山寺から10分ほど歩くと、宇治、山辺の道に至るコースとの分岐に着く。私がその道を行ったのは去年の7月であった。なんかずいぶん昔のことのような気がする。
分岐からは真っ直ぐに行く。途中で道を間違えて、国道に出てしまった。しかたがないのでそのまま国道を行くことにしたが、どうも感じがおかしい。磁石で確認したら、石山寺に向かって戻っていた。バカだ…。
さて、国道を南に向かって歩いて行くと大きな交差点があって、左折する。そうすると川を渡るのだが、その流れが琵琶湖疎水に似ている。疎水の取水口はここだったっけと思ったりした。
すぐに瀬田川のほとりに出た。川沿いの道を行くと、行く手に水門のようなものが見えてくる。これが「南郷洗堤」である。瀬田川は琵琶湖から流出するただ一つの河川なのだが、ここに堰堤をつくることによって琵琶湖の水位上昇を調整したのである。南郷洗堤は明治37年に完工したというが、今の堰堤は昭和37年につくられたものである。
今、国道が堤の上を通っていて、東海自然歩道はこの道を行くのだ。

今日のコースの前半は、ほとんどアスファルトの車道歩きである。困ったことに、車道と歩道は分離されていなくて、車の量が多いのでけっこう気を使う。
道は大戸川の橋の手前まで行くが、これを渡らずに左に曲がる。大戸川は瀬田川に合流する川である。
しばらく川に沿って歩いて行く。川原が濃い草に覆われていて、もう夏という感じである。
石井橋で大戸川を渡った。ここから真っ直ぐに行くと田上枝町で、最初の目的地の田上公園は近い。
途中で左の道に入り、集落の中を行く。ところがこれは間違った道のようで、田上公園に行き着くことはできなかった。

ただ、この「枝」の集落はなにかしら、歴史を感じさせる落ち着いたたたずまいで、こういうところをのんびり歩くのは好きである。




 不動橋へ
天満宮に突き当たった


湖南アルプス登山口バス停


流れが急になってきた


矢筈山の分岐


この分岐でようやく林道から離れる


不動橋を渡る


道は天満宮に突き当たった。この神社のおかげで地図の上で自分がどこにいるのかわかった。つきあたりを右に行って、アスファルトの道に合流する。これが自然歩道である。
川の流れに沿って歩いて行く。この川は湖南アルプスから流れてきていて、天神川という。
しばらく行くと、この川の両岸は自然公園としてきれいに整備されていた。川原には遊歩道が巡らされていて、流れも石組みされている。向こう岸にはバーベキューハウスのようなものが見える。
この整備された道を行くと、橋を渡る。そこがアルプス登山口で、バス停があった。
行く手の山はそんなに高い山ではないのだが、山腹は岩塊に覆われているのが見えた。
けっこう険しそうである。
道はどんどん山の中に入っていく。谷あいの道で両側は山が切り立っている。険しい岩山の連なりで、だからこそ「アルプス」という名がつけられているのだろうと思う。
どんどん歩いて行くのだが、どこまでも舗装された林道が続き、いっこうに山道にならない。
昔、初めてこの道を歩いたときの記憶では、すさまじいばかりの岩山だったのだが…。もしかしたら、コースが変更されているのではないかと思ってしまう。
私が自然歩道を歩いたのは30年ほど前のことなので、今歩いてみると、コースが変わっていることが少なくないのだ。
途中、矢筈山への分岐があったが、自然歩道は相変わらず舗装の道を行くのだ。
矢筈山分岐の前で悩んでしまった。今日、このコースを歩く楽しみは、湖南アルプスを縦走することだったのだ。このまま林道の道で不動寺まで行くことになったら、がっかりである。矢筈山に登って行こうかと、二万五千分の一の地図を確認したのだが、登山道の記載は詳しくない。残念だが、山はあきらめて、指導標の通り自然歩道をたどることにした。
歩いて行くと右に東屋のような建物があり、これが「迎え不動」であった。その屋根の下に不動明王の石仏が安置されている。私が通ったとき、その前で一生懸命お経をあげているおばさんがいた。
あいかわらず舗装された車道を行く。
迎え不動を過ぎるとすぐに鎧ダムに向かう分岐があったが、私はさらに直進する。
林道が左の山に向かって大きなカーブを描いて上っていくあたりで、ようやく分岐があった。自然歩道らしい山道で、この道に入るとすぐに小さな橋を渡った。
自然歩道のために架けたと思われる「不動橋」である。



 太神山山頂へ
岩場の道になる


泣き不動


二尊門に着いた


不動寺の門に着いた


太神山山頂


ここからは様相が一変して、本当に険しい道になった。大きな一枚岩の上を行く岩場もある。
この急な道を登って行く。私が記憶していた湖南アルプスの岩場の道はこれだったようである。
山道をひたすら登って行く。
樹木の中の道なのだが、展望が開けると、アルプスという呼称にふさわしい岩山の連なりを見ることができた。
登り切って傾斜の緩やかな尾根の道を行くと、左にお堂が見えてきて、その中に石の不動像が納められている。これが泣き不動だろうかと思ったのだが、そうではなかった。
さらに
15分ほど行くと、道の右の大きな岩に不動尊が彫られている。案内が立っていて、これが「泣き不動」であった。表情を見ると、泣いているように見えないこともない。
このあたりになると山の道ではあるが、傾斜はない。散歩気分で歩いて行くと、左に細い木を組み合わせた鳥居があって、その先に二体に石仏が立っていた。不動明王の脇侍、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制咤迦童子(せいたかどうじ)のようである。この2体の石仏が門の役割をしているために、「二尊門」というのだ。
石段を登ると、そこは寺の境内だった。本堂のような建物があるのだが、すべての扉は閉められている。その前に水道の蛇口があって、ひねってみると水が出た。喉が渇いていたので助かった。
庭の隅にはツツジがきれいに咲いている。
この寺には奥の院があって、そこには不動寺本堂(重要文化財)がある。そしてそこは湖南アルプスの最高峰、「太神山」山頂でもあるのだ。もちろん登ることにした。
急な石段を上ってゆくと、懸崖造りの本堂が見えてきた。巨岩の上に舞台をしつられた本堂で、京都清水寺の規模を小さくした感じである。

本堂周辺にはたくさんの巨岩があっって、巨岩の中を通り抜けたりできるのだ。
少し登ると太神山(たなかみやま)山頂である。そこには祠が立っていて、山頂広場の隅に二等三角点があった。

展望はまったく得られないのだが、これが湖南アルプス最高峰だと思うと、けっこう満足してしまった。



 紫香楽宮跡へ
車道からの不動寺の入口


三筋の滝が見えたく


吊り橋を渡る


山道を行く


国道を行く


紫香楽宮金堂跡


講堂跡の礎石


紫香楽宮跡駅


一旦不動寺山門に戻り、そこから少し行ったところが東海自然歩道の田代に向かう道である。
ここからは長い林道歩きであった。下りの道なので、ひたすら急ぐ。舗装された広い道に出て、車が通るこの道を行くと、バス停があり、その前に警官のような制服の二人がたっている。何かと思ったら、そこは信仰宗教の施設への入り口でその警備員なのだ。ゴルフ場の入り口のような立派な造りであった。
ともかくここからは、車に気をつけながらひたすら歩く。なにしろ、ダンプが猛スピードで走っていくのだから…。
15分ほど行くと「三筋の滝」の入り口があった。車道から少し下ると、木々の向こうに滝が見える。歩いてきた道は田代川に沿って続いていたのだが、その川が滝を造っているのだ。滝の幅は広くて、そのため流れが三筋になって落ちているのである。
写真撮影には木がジャマなので、下まで降りてみることにした。下から見上げる滝はけっこうりっぱであった。
この滝からは遊歩道があった。車道を歩くのはいやなので、この道を行くことにする。田代の集落に入る直前に、吊り橋を渡って車道と合流した。

田代の集落の中を行くとバス停があって、その向かい側で自然歩道が分かれている。
すぐに山道になったが、15分ほどで林道と合流した。信楽までは、この舗装された林道をひたすら歩くしかない。
1時間ほど行くと大きな砕石工場があり、すぐに国道に突き当たった。地図と照らし合わせるとどうもおかしい。道を間違えていた。自然歩道は黄瀬という集落に出るのだが、私はそのかなり南に来てしまっていたのだ。しかたがないので国道307号線を北上する。途中、コンビニがあったので飲み物を買って、それを飲みながら歩いて行った。
このあたりには信楽焼きの窯元が多い。信楽焼きといったら、すぐにタヌキを思ってしまうのだが、それがたくさん並んでいた。
国道から左に外れて少し行くと、黄瀬の集落に着いた。自然歩道の指導標も立っている。これでようやく本来のコースに戻れた。
さてここで内裏野橋という、自然歩道用の橋を渡る。すぐに急な石段を登り、山道を行くと紫香楽宮跡の前に出た。
自然歩道からは左に曲がって、参道のような道を行く。
突き当りには神社の祠が立っていて、それが紫香楽宮の大極殿跡であった。
このあたりはかなり大規模な発掘調査がされたようで、講堂跡とか堂塔跡などと詳しく案内が立っている。
昔、私が来たときは、この神社の祠一つしかなかったのだが…。
紫香楽宮というのは、聖武天皇の離宮である。聖武天皇といったら、奈良の東大寺大仏建立をした人である。そして、その大仏はもともとは紫香楽宮で造られようとしていたのである。
この聖武天皇という人は、私の印象ではなぜか神経質なひ弱な感じがしてしまうのだが、実際は多くの土木事業を行っている。奈良に平城京がありながら、山城の国に恭仁京を造営し遷都を行い、その造営の途中にありながら、紫香楽が気に入って離宮を造営したりするのだ。
この信楽で大仏造営の詔を出すことになるのだが、その2年後には難波京へ遷都を断行してしまうという、とんでもない土木大好き人間なのだ。聖武天皇は仏教を興隆させた聖人のような印象があるが、もしかしたらとんでもない暴君だったのかもしれない。
ともかく、紫香楽宮跡には昔のままの完璧な形で礎石が残っていて、本当に貴重な史跡なのである。
仏教文化が華やかだった天平時代を想いながら、この紫香楽宮をあとにした。

最寄の駅、信楽高原鉄道の紫香楽宮跡駅はここから歩いて10分ほどである。



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