東海自然歩道 愛知の道


香嵐渓→30分→安実京→30分→有洞町→1:00→椿立休憩所→25分→平勝寺→40分→県道→50分→防火線二の沢線→30分→金蔵連峠→30分→休憩ベンチ(泊)

香嵐渓からはのんびりと山里を行くのだ。途中の平勝寺の桧の巨木には感動してしまった。私は巨木が大好きなのだ。金蔵連峠で泊まろうと思ったが、車道のすぐ傍なのでさらに30分ほど山に向かって登って、結局道の真ん中にテントを張ってしまった。


 香嵐渓から平勝寺へ
巴川に沿って行く


有洞ののどかな風景


この休憩所から平勝寺まで2.3km


道ばたに置かれた観音さま


平勝寺の標識があった


平勝寺が見えてきた


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2009年4月8日

香嵐渓から舗装道を巴川に沿って歩いて行くと、
30分ほどで指導標がたっていて、左折して川端橋を渡るのだ。対岸には国道が通っていて、そこが安実京である。東海自然歩道の指導標には平勝寺まで6km2時間50分と書いてあった。
国道を少し歩いてから、左折して石垣の間の急坂を上る。田畑の間の急な登りで、振り返ると今渡った川端橋と巴川が一望できた。急な登りがこのまま続くのかと思ったら、すぐに舗装道に出てしまって、これを左に歩いて行く。15分ほど行くと集落があって、有洞町という標識があった。そこに石仏が何体もならぶお堂があった。ここで少し休憩した。
御堂の縁に座ってパンをかじりながら、山里の風景を眺めている。段々畑とその斜面に点在する農家の屋根、枝垂れ桜がきれいだ。自然歩道を歩いていると、こんな日本の原風景に出会うことができるのだ。
御堂から道は左に大きくカーブして、傾斜はきつくなる。15分ほど歩くと民家が並ぶ三叉路があって右の道を行く。杉林の山間に入って25分ほど歩くと、車道から右の山道に入る。舗装道を歩くのは足が痛くなって、本当につらいのだ。
杉林の中を歩いて行くと、すぐにベンチの置かれた休憩所があって、ここで少し休む。靴を脱いで足をマッサージした。ここの指導標には平勝寺まで2.3km1時間10分と書かれていた。
杉林の道が続く。土の道はやっぱり柔らかくて、足が喜んでいる。気持ちのいい樹林の道を30分ほど行くと、指導標があって、ここで鋭角に左折する。道端に石仏がぽつんとたっていた。
分岐から下って行くとすぐに樹林から抜け出して、畑の間に出る。畑のあぜ道を歩いて車道に出る。山間に田んぼが広がっていて、その横の舗装道を歩いて行くと交差点があった。
狭い盆地で田んぼの中に民家が点在しているのが見える。交差点には平勝寺の標識があった。右折にして平勝寺を目指す。舗装道が続くのだが、道端には石仏が点々と置かれていた。石仏は二体並んでいて、一つは西国三十三観音、一つは秩父三十四観音なのだ。
行く手に巨木が茂る杜が見えてきた。これが平勝寺である。意外と近かった。
平勝寺は聖徳太子開山といわれ、現在は曹洞宗なのだが、かつては天台密教だったらしい。
車道から左折して参道を行く。山門の前にすごい巨木が聳えている。これは桧で、樹齢400年以上、高さは36mもあるのだ。私はこんな巨木が大好きなのだ。木の下にはいくつもの石仏が並んでいた。
石段を上って楼門をくぐる。この門もりっぱな造りで、二階には鐘が吊ってあった。杉林の中に御堂がたっている。でも、境内は右に広くて、そこに新しい本堂がたっていた。この寺には平治元年(
1159)作の木造聖観音像が伝わっていて、国の重要文化財に指定されている。今は御堂後ろのコンクリート造りの宝物倉に収まっているので、見ることはできない。
境内には村社神明宮も併設されていて、石の鳥居の奥に社殿が見えた。ここにはトイレもあるので行ってみたら、トイレの前に蛇口があった。これで水が補給できたので、今日の野営の準備ができた。木陰のベンチで長い休憩をした。境内に「綾渡の夜念仏と盆踊り」の碑がたっているのを見つけた。昭和37年に県の無形文化財に指定されたもので、念仏や和讃に合わせて楽器を鳴らして踊る一種の念仏踊りなのだ。平安中期頃から流行し始めた踊りだという。


  

 平勝寺から金蔵寺峠へ
ここから山道に入る


谷と思ったら県道だった


740m峰?


金蔵寺峠のトイレ


道の真ん中にテントを張った


車道に戻る。ここに立つ案内板には、金蔵連峠まで
5.2km2時間と書かれていた。今14時を少し過ぎた頃なので、今日の泊まりはこの峠になりそうだ。
車道に戻って10分ほど歩いてから左の細い道に入る。これを5分ほど歩いてから右の山道に入る。杉林の中を10分ほど緩やかに上って行くと、古い道標があった。「右みうち・左ごんぞれ」と刻まれている。地図を見たら、右(南)に御内町があった。ごんぞれというのはこれから目指す金蔵連のことである。でも、ここから分かれる道は見あたらなかった。
樹林の中を5分ほど行くと林から抜け出して、左が深い谷になっている。鉄柵が設けられていて、これに沿って下って行く。下から車の音がすると思ったら、谷と思ったのは県道であった。県道の向こうも急斜面で、そこに鉄柵が斜めに続いている。自然歩道は急な階段で県道に下って、それから急な階段を登り返すのだ。
急な階段を登り終えて、自然林の中に入る。あとは林の中の登りが続く。35分ほど行くと、地道の林道にぶつかった。自然歩道はこの林道に平行する山道を行く。林道についたり離れたりしながら30分ほど登って行くと、ベンチの置かれたピークに着いた。ここが740m峰だと思うのだが、三角点はなかった。
林道のような広い道を下って行くと、自然歩道の古いトイレがたっていて、その先に舗装道が見えた。ここが金蔵連峠であった。金蔵連というのは、金の蔵が建ち並ぶということからついた名前で、武田信玄の隠し金山があったのだという。
時間は16時になっているので、ここにテントを張ろうかと思ったのだが、車道のすぐ傍にテントを張る気がしない。地図を見ると、ここから2kmほど先に831m峰があって、そこにベンチのある休憩所がある。そこまで行くことにした。
車道を横切って桧林の中を登って行く。道は桧林を広く切り開いた防火線で、これを登って行くのだ。10分ほど登ると樹林から抜け出して林道に出るが、これを横切って再び防火線上を急登する。すさまじい急登が続いて、ようやく傾斜が緩まると、尾根がいつのまにか狭まっていた。あいかわらず防火線が続いて、両側は桧林である。寧比曽山まで5kmの指導標を過ぎて、さらに200mほど行くと樹林に囲まれたピークに着いた。ここが831mピークのようで、ベンチが置かれている。でも、テントを張るスペースがない。困ってしまった。もう少し行ってみるかと、少しだけ下ると平坦で道が広いところがあった。ここにテントを張ってしまうことにした。登山道の真ん中にテントを張ってしまうのだが、これからここを通る人はいないだろう。
テントに落ち着いたのは17時を少し過ぎた頃。
明日で今回の旅は終了するので、ザックにある食料はすべて食べ尽くすことにする。大事にチビチビ飲んでいたウイスキーも残すことなく飲んでしおう。今日は打ち上げの宴会だ。たった一人だけど…。


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