まず足助八幡神社に行った。この八幡社の境内には隣接して足助神社がある。八幡神社よりも小さいのだが、元弘元年(1331)に後醍醐天皇に味方して、笠置山の籠城軍3000人の総大将となった足助次郎を祀る神社なのだ。彼は弓の名手として名高く、笠置で強弓を以って奮戦する様子が太平記に記されているのだ。
神社の境内から国道に出て、巴橋で川を渡る。この川をさかのぼると香嵐渓である。
橋を渡った正面には大きな石灯籠がたっている。秋葉山と刻まれた常夜灯である。常夜灯の前を左折すると古い家並みを見ることができる。
玉田屋という旅籠の前を過ぎて、少し行くと弘化3年(1846)の古い道標があった。左ぜんこう寺・右ほうらい寺と刻まれている。足助は江戸時代に伊奈街道の宿場町だったのだが、ここから遠州街道が分かれていたのだ。
石標から左折すると、古い建物を使った足助商工会の前に着く。
この先で足助川を中橋で渡る。橋から眺めると、川の両側には家が建ち並んでいて、満開の桜がきれいであった。
橋からまっすぐに北に向かうと、普光寺がある。このお寺は郷土の俳人板倉塞馬の菩提寺だという。まったく聞いたことのない人なのだが、俳諧や寺子屋の師匠をしていた他に、この地に炭焼きを普及させた功績の人なのだ。墓地の中に板倉塞馬の顕彰碑がたっていた。
お寺から東に歩いて行くと、右に細い路地がある。この細い路地をたどると、板塀と白壁の土蔵の間の細い下り道になる。これが「マンリン小路」である。すごくいい雰囲気の路地である。広い車道に出たところには足助山宗恩寺道」という石柱がたっていた。
町のメインストリートを歩いて行く。宿場町の面影が残っていて、町の文化財として指定された家も多いのだ。
宿場の雰囲気を楽しみながら歩いていったら、町並みが尽きてしまった。そこで、民家の間のすごく細い急な石段を下って、足助川右岸につけられた遊歩道に出た。
あとはこの遊歩道を歩いて引き返すだけである。ビジターセンターに戻ったのは10時を少し過ぎた頃であった。約1時間の散策であった。
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