東海自然歩道 愛知の道


元山中峠→大島集落→大国橋→雲晴橋→白鷺温泉→小原橋→あすけ愛→東海自然歩道ビジターセンター→足助散策(足助八幡宮→足助神社→大常夜灯→弘化道しるべ→善光寺→マンリン小路→宿場町並み→足助川遊歩道)→香嵐渓(待月橋→三州足助屋敷→薫風橋→香嵐橋)→自然歩道

足助の町を散策したが、古い宿場の面影がすばらしくよかった。その後歩いた香嵐渓は紅葉の名所なのだが桜の眺めも捨てたものではない。


 元中山峠から足助へ
テントを撤収する


大国橋


小原橋


足助大橋が見えてきた

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200948

昨夜は寒くてよく眠れなかった。うつらうつらしていたら、集落の有線放送で目が覚めた。
元山中峠出発は
7時である。自然林の中を階段で下って行く。墓地を過ぎると田んぼの中に出て、民家の横を通って大島の集落に入る。
満開の桜を見ながら車道を行くと八坂神社があって、そこで右折して民家の間の細い道を下る。県道に出て、これを少し行くと東海自然歩道の案内板があった。ここで県道を横切って橋を渡る。この橋が大国橋である。あとは巴川の右側に続く道を歩いて行くのだ。
すぐに舗装道から、右の遊歩道に入る。左に巴川を見ながら林の中を
20分ほど行くと樹林から抜け出して、簡易舗装の道になった。これを20分ほど行くと広い車道に合流して、5分ほどで雲晴橋の袂に着いた。時間は815分になっていた。
通勤の車がスピードを出して走っているので、車に注意しながら歩かなければいけなかった。この道に歩道部分は設けられていないのだ。雲晴橋から
15分ほどで白鷺温泉に着いた。ここには割烹のような「白鷺館」がたっていて、これが白鷺温泉なのだ。その昔、翼を痛めた白鷺が湧き出る泉で傷をいやしたという伝説があるのだが、泉温は17.5度というから温泉といっていいのかどうか…。
この先は歩道部分が設けられていて、車を心配する必要がなくなった。すぐ下に巴川の流れを見ながら歩いて行くと、1kmほどで小原橋に着いた。ここには石仏が数体たっていた。ここから香嵐渓までは1.6km40分である。
車道歩きが続くが、岩神町の標識が現れると美しい桜並木になった。行く手に赤い高架の橋(足助大橋)が見えてくると香嵐渓は近い。
見ばたに亀が立ったような石像があって、「あすけ愛」という名が書かれている。これは今朝平で発掘された縄文土偶で、縄文のビーナスと呼ばれ、妊婦をかたどったものなのだ。
国道
153号線に合流すると、左に杉林に囲まれた神社がある。足助八幡神社である。この神社の前を右折して、広い駐車場を右に見て少し行くと「東海自然歩道香嵐渓ビジターセンター」がある。中に入って見たが、何もなかった。でも、足助の町並み散策のしおりがあったので、これで町を散策することにした。重いザックはビジターセンターに置いて行く。



 足助散策
足助八幡宮


巴川を渡る


宿場の面影が残る


本町を行く


まず足助八幡神社に行った。この八幡社の境内には隣接して足助神社がある。八幡神社よりも小さいのだが、元弘元年(
1331)に後醍醐天皇に味方して、笠置山の籠城軍3000人の総大将となった足助次郎を祀る神社なのだ。彼は弓の名手として名高く、笠置で強弓を以って奮戦する様子が太平記に記されているのだ。
神社の境内から国道に出て、巴橋で川を渡る。この川をさかのぼると香嵐渓である。
橋を渡った正面には大きな石灯籠がたっている。秋葉山と刻まれた常夜灯である。常夜灯の前を左折すると古い家並みを見ることができる。
玉田屋という旅籠の前を過ぎて、少し行くと弘化
3年(1846)の古い道標があった。左ぜんこう寺・右ほうらい寺と刻まれている。足助は江戸時代に伊奈街道の宿場町だったのだが、ここから遠州街道が分かれていたのだ。
石標から左折すると、古い建物を使った足助商工会の前に着く。
この先で足助川を中橋で渡る。橋から眺めると、川の両側には家が建ち並んでいて、満開の桜がきれいであった。
橋からまっすぐに北に向かうと、普光寺がある。
このお寺は郷土の俳人板倉塞馬の菩提寺だという。まったく聞いたことのない人なのだが、俳諧や寺子屋の師匠をしていた他に、この地に炭焼きを普及させた功績の人なのだ。墓地の中に板倉塞馬の顕彰碑がたっていた。
お寺から東に歩いて行くと、右に細い路地がある。この細い路地をたどると、板塀と白壁の土蔵の間の細い下り道になる。これが「マンリン小路」である。すごくいい雰囲気の路地である。広い車道に出たところには足助山宗恩寺道」という石柱がたっていた。
町のメインストリートを歩いて行く。宿場町の面影が残っていて、町の文化財として指定された家も多いのだ。
宿場の雰囲気を楽しみながら歩いていったら、町並みが尽きてしまった。そこで、民家の間のすごく細い急な石段を下って、足助川右岸につけられた遊歩道に出た。
あとはこの遊歩道を歩いて引き返すだけである。ビジターセンターに戻ったのは10時を少し過ぎた頃であった。約1時間の散策であった。



 香嵐渓
待月橋


三州足助屋敷


香嵐橋



東海自然歩道はビジターセンター前の車道を巴川に沿って歩いて行くのだが、香嵐渓の見所は対岸にあるので、自然歩道を外れて香嵐渓の遊歩道を行くことにした。真っ赤な欄干の待月橋で対岸に渡る。

香嵐渓は紅葉の名所なのだが、今は春なので紅葉を見ることはできない。でも桜がきれいである。
林の中を歩いて行くと茶室のような東屋があって、この先にも遊歩道が続いているのだが、工事中で通行止めになっていた。これを迂回するとすごく遠回りになるので、通行止めのロープを越えて、工事区間を走って通過した。ところが、向こうのロープに足をとられて、思いっきり転んでしまった。膝をぶつけてすごく痛かった。

その先には三州足助屋敷があった。明治の豪農の屋敷を写した全くの新築で、郷土博物館のようなものである。この前を左折して広い遊歩道に出ると、山に向かって上る急な石段がある。この山が標高254mの飯盛山で、石段の先に香積寺があるのだ。応永34年創建の曹洞宗の古刹である。 香嵐渓は、香積寺の三栄和尚が寛永11年(1634)に般若経一巻づつをずして桧楓を植えたと伝えられ、これが「香積寺のもみじ」とたたえられて名所になったのだという。でも急な石段を上るのがめんどうでパスした。
巴川の流れを見ながら遊歩道を行くと薫楓橋があった。自然歩道は対岸にあるので橋を渡らなければいけないのだが、上流に赤い吊り橋が見える。せっかくなので吊り橋まで行くことにした。
香嵐橋という吊り橋を渡ると茅葺き農家風の茶店があって、すぐに自然歩道である舗装道に出る。


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