東海自然歩道 岐阜の道.



継鹿尾山→西帷子→可児川→大脇→西洞→今→銅鐸発掘地→泳宮跡→可児歴史郷土館→丸山ダム湖→みたけの森→近鉄御嵩駅

継鹿尾山から少し行くと、岐阜県コースの分岐がある。私はとりあえずは岐阜県コースを行くことにした。今日の私の一番の楽しみは史蹟泳宮跡である
泳宮の石塔.

 鹿継尾山から西帷子へ
テントを張った東屋


山頂から下る道


山頂から介階段を下って行く


岐阜県ルートの分岐


西帷子のバス停前


BACK 犬山城から継鹿尾山へ


2006年311

夜、テントの外に出てみたら、すばらしい夜景が広がっていた。よく見ると、ライトアップされた犬山城も見えるのだ。ここにテントを張ってよかったと思った。
朝、下界は一面の雲海であった。
パッキングをしていたが、時間がたつにつれて、しだいに雲海がはれてきて、町並みや木曽川が浮かび上がってくる。きれいである。
今日の出発は7時であった。
昨日、テントの中で考えたのだが、天気予報では明日から寒気がやってきて、日本列島は天気が大きく崩れるのだそうだ。しばらく寒い日が続いて、山沿いでは雪が降ったりするらしい。しかたがないので、このあたりで切り上げて帰ることにした。
この先のルート近くの鉄道を探すと、名鉄の御嵩駅である。青春18切符を使うので、1日で仙台まで行きたい。そうすると、今日は「みたけの森」まで行って、そこでテントを張って、明日の朝一番で名鉄御嵩駅から電車を乗り継いで帰ることになる。ここから御嵩まではかなり距離があるのだが、少し無理をしてもみたけの森まで行こうと思う。
そのために早く出発することにしたのだ。
山頂からは急な道を下る。尾根の道が続く。
今、私は愛知県にいる。でも、自然歩道はこのすぐ先で岐阜県恵那市に向かうコースと愛知県を行くコースと分かれるのだ。私はこのまま岐阜県ルートを歩いて御嵩まで行こうとしているのだ。
ただ、困ったことは指導標が愛知県のルートしか書かれていないのだ。善師町バス停とのみ書かれている。今いるのが愛知県だから、愛知県ルートしか案内しないというのは、けっこう不親切ではないか。稜線で分岐があった。左に下ってゆく道があって、そこには善師町と書かれている。稜線をまっすぐに行く道がある。ここが岐阜ルートと愛知県ルートの分岐ではないかと思うのだが、指導標には岐阜県ルートは書かれていない。悩んだが、まっすぐに行ってみることにした。ところが、磁石で確認しながら行くと、しだいに西に向かい始めた。間違っている。分岐まで引き返して、稜線から下るとすぐのところに、岐阜県ルートの分岐の指導標がたっていた。よかった。


 →NEXT 善師野から小牧市境へ(愛知県コース)



 西帷子から西洞へ
大脇の外れで橋を渡る


大きな工場が見えた


右折して西の丘に沿った道に入る


西洞の酒屋さん、缶チューハイを買った


山寺で右折して橋を渡る

愛知県コースとの分岐から下って行くと山あいの田んぼの中の道になって、やがて西帷子の集落に入った。
西帷子からは北に方向を変えて車道を歩いてゆく。

途中に真善寺の石柱を見つけた。この寺は臨済宗妙心寺派の古刹で、立ち寄りたかったのだが、ここから400mも山に向かって登って行かなければいけないのだ。あきらめた。
両側に山がせまる峠を越えると高速道路にぶつかる。この手前に石仏がたっていた。木曾街道のみちしるべとしてたてられた馬頭観音である。この木曾街道は元和9年(1623)徳川義直の命によって、名古屋城下から小牧宿~善師野宿~土田宿を経て中山道と街道として整備されたのだ。名古屋道、尾張街道とも呼ばれる。
高速道路をトンネルで渡って、少し行くと大脇である。大脇の集落のはずれで橋を渡るのだが、下は美しい渓谷になっていた。

道はようやく平野に出て、可児川を渡ったところで、右折して田んぼの中の道をとる。
行く手には大きな工場が見えてきて、車道に出る直前に仲の島の案内があった。でも、川が分かれているおようには見えなくて、その意味がよくわからなかった。
名鉄の線路をトンネルでくぐって、あとは広い車道をひたすら歩いて行く。広くなった可児川を渡ったところで右折して南に向かう。ただ指導標がない。どこかで分岐を見逃したみたいである。
このあたりの自然歩道のコースの意味合いがよくわからない。道は可児川から南下して塩河の集落まで行って、それから字で曲がって再び北上して可児川まで戻ってくるのだ。とくに見るべきっものもないのになんでこんな遠回りをするんだろうと思ってしまう。もちろんこのコースをとることによって、車が多い車道歩きを逃れることができるのだが。
農業大学の入口を左に見て、さらにアスファルトの道を歩いて行く。
歩いている道の両側には岡が連なっていて、道は東の岡に沿って続いているのだが、途中から右折して西の岡に沿った道を行く。のどかな山村の風景の中をのんびり歩いて行くのだ。いたずらに遠回りさせられているだけだと思ったのだが、これはこれでけっこうすてきなコースではないかと思う。
新田、西洞と集落を抜けて行く。西洞ではコンビニがあって、そこではお酒も売っていた。のどが渇いたので、缶チューハイを買って飲んでしまった。
西洞から県道を渡って西に向かう。小さな峠を越して「今」という集落に着く。ここからは北に向かって再び可児川を目指すのだ。連なる岡に沿って歩いてゆく。山寺という集落で右折して、川を渡って、さらに陸橋で県道を渡る。東に向かう緩やかな登りになる。
両側は新興住宅地である。上りきったところに児童公園があったので、そこのベンチで休憩した。今日は天気がよくて暖かい。



 泳宮と可児郷土歴史館
峠をトンネルで越える


久々利の集落に入って行く


泳宮古跡


可児郷土歴史館


緩やかに下って、再び田んぼの広がる集落に出る。このあたりには大森皿屋敷古墳があるという案内があるのだが、どこにあるのかまったくわからなかった。
大森川を渡って再び山越えをする。峠はトンネルになっていた。

久々利川に出ると、あとはこの川に沿って歩いて行く。
途中で銅鐸発掘地の案内があった。今から250年ほど前の享保18年に近くの農民が開墾中に発見したのだ。高さ111cmの大型銅鐸である。この実物はあとで、可児郷土館で見ることができた。
久々利の集落に入る。ここには泳宮(くくりのみや)という史跡があって、私にとっては今日一番の楽しみである。
酒屋さんがあった。今夜が自然歩道歩き最後になるので、酒を仕入れることにした。この酒屋さんで泳宮への道を訊いて、歩いてゆく。行く手に森が見えてきて、泳宮跡である。
いまから1800年前、景行天皇が美濃を行幸されたときに仮宮としたのがこの泳宮なのだ。天皇は滞在中にこの地の豪族の娘を后にしたのが、その子が成務天皇となるのだ。
神社の境内のようになっていて、その一角が低い石柱で囲まれている。そこが泳宮跡である。池も作られていて、公園のように整備されているのだ。この池は天皇が俤姫をおびき出すために美しい鯉を放ったのだという。
池に横に歌碑がある。


たのめただ くくりの池に 住むときく
  こひこそ道の しるべとはなれ


この泳宮から少しゆくと可児郷土歴史館がある。もちろん立ち寄ることにした。
さっき見てきた銅鐸発掘跡で発見された銅鐸が展示されている。大きいもので、銅鐸は滋賀県では多く発掘さあれるのだが、美濃では珍しいはずである。文様も刻まれているのだが、判読はできなかった。美濃焼きの展示もすばらしかったが、すてきな仏像があった。
大日如来坐像で、お顔がすばらしくいい。これが県の重要文化財とは信じられない。国の重要文化財でもいいのではないかと思ってしまった。



 泳宮からみたけの森へ
久々利城登り口


小渕ダム湖に沿って行く


北洞池から山道に入る


みたけの森への道


歴史館からは山に向かって登ってゆくと、町から外れたところに久々利城址への入口があった。土岐三河守悪五郎の築城といわれるが、室町時代の典型的な山城である。けっこう遺構が残っているらしいのだが、かなり山に登って行かなければいけないので止めにした。
城跡から山に沿って歩いて行くと円妙寺がある。ここには市の重要文化財にしていされた仏像が10体もあるのだ。代表的なものは阿弥陀如来坐像なのだ。
小川に沿って歩いて行くと川幅が広くなって、もうダム湖になったのかと思ったが、ダムはこの上流にあるのだ。
行く手にはダムの堤防が見えてきて、そこまで登るとダム湖が広がっている。この小渕ダムは日本初のロックフィルダムとして昭和27年に完成したのだ。湖に沿って歩いてゆく。

ダム湖を過ぎると、車道から左の細い道に入って山に向かって登ってゆく。行く手に堰堤が見えてきてこれを登るとため池がある。これが北洞池で山の中のひっそりとした湖である。その堤防を右に渡って少し行くと自然歩道の指導標があって、ここから山の中に入るのだ。この道はけっこきつい。急な階段でアップダウンを繰り返すのだ。でも。明るい雑木林の中を行くのは気持ちがよくて、途中にはベンチやテーブルが置かれた休憩所もあるのだ。
20分ほど山道を行くと車道に出てしまった。あとはこの車道を歩いて行くだけである。道は山の尾根をまいて曲がりくねっている。今日泊まろうと思っている「みたけの森」まではかなり遠いと思っていたのだが、途中でこの森の案内図がたっているのを見つけた。そこはみたけの森の南側の入口で、ここから森の中にはりめぐらされた遊歩道を歩いたほうがはるかに近道だということがわかった。
車道から分かれて遊歩道を下った。入口にあった地図を手帳に写して、「自然歩道」「並木道」というコースをたどって芝生広場に着いた。そこには稲葉溜池があって、その池畔には東屋がたっていた。ここにテントを張ることにした。
ただ、まだ時間が早いので、公園内を散策しているひとは多い。
とりあえずはこの東屋で缶ビールを開けて、いままでの10日間のがんばりに自分で乾杯することにした。ビールはうまかった。テントを張ったのは6時頃で、あたりが暗くなる直前である。



 みたけの森から御嵩駅へ

御嵩駅



可児駅で乗り換え


312

みたけの森を後にしたのは、6時である。ここから名鉄御嵩駅までは1時間くらいかかるのではないかと思うのだ。携帯の乗り換え案内で調べたのだが、727分の電車に乗らないと、今日中に仙台に着くのは難しくなる。
公園内を歩いて、管理センターのあるところから車道に出る。この車道を歩いて行くと、指導標があって、駅までは20分ほどで行けるらしい。これなら、もっと早い便に乗れそうである。
北に向かって下って行き、田んぼの中の道に出る。まっすぐに行くと可児川で、この土手をで右折する。土手を歩いて行くと電車が走ってゆくのが見えた。御嵩駅は終着駅なので、この列車が引き返すことになるのだろう。なんとかそれに間に合わせようと思う。
御嵩駅に着いたのは615分であった。
あとは新可児駅までいって、そこでJRの可児駅に乗り換えるだけである。

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