東海自然歩道 愛知の道.


白山神社→鵜沼宿→ライン大橋→犬山城→犬山遊園地駅→国際ユースホステル→寂光院→継鹿尾山

木曾川にかかるライン大橋を渡ると愛知県である。今日の目玉は犬山城なのだが、朝早かったので見学はやめてしまった。雨の中を犬山市街を抜けて継鹿尾山へ。12時前に山頂に着いたが、雨なのでここにテントを張ってしまった。
犬山城天守からライン大橋

 白山神社からライン大橋へ
鵜沼宿


土手の道を行く


名鉄の踏切を渡る


民家の上に犬山城が見えてきた


木曽川の川辺に着くと正面に犬山城


ライン大橋から木曽川の流れ

BACK 長良川から日の出不動へ


2006年310

今日は雨である。
雨の日のテントの撤収はけっこう面倒なのだ。
まずシュラフをたたんでエア枕と一緒にザックの一番下に入れる。その上にポリタン・飯ごう・エアマット・コッフェルをつめて、その隙間に衣料などを詰める。こうしてテントの中のものをすべてザックに詰め終わってからテントを出て、最後にテントをたたむのだ。テントはザックの一番上に収納する。こうしておくと、雨の中でも荷物を濡らすことなくの次のテント設営が可能なのだ。テントのポールと銀シートをザックの両脇にくくりつけて、撤収はおしまいである。
今日は傘だけで出発、750分であった。
白山神社のある丘から下って、
まっすぐ南に歩いて行くとT字路に出た。これが国道21号線で旧中仙道なのだ。このあたりは昔の宿場町を思わせるたたずまいなので、ガイドブックをみたら、まさしく中山道の52番目の鵜沼宿なのだった。道ばたに「四国・西国巡礼供養塔」と刻まれた石碑があった。この街道を巡礼が通っていたようだ。
納得しながら、さて先に進もうと思ったが、ここに指導標がない。どっちに行ったらいいのか迷ってしまった。でも地図をよくみると、自然歩道は小川に沿って続いていることになっている。左に橋が見えたので、そちらに行ってみると指導標を見つけることができた。
あとはこの小川に沿って歩いてゆくだけである。この小川は木曽川に流れ込むのだ。
川沿いに歩いて行くと、行く手に赤い電車が走っているのが見えた。これは名鉄だと思うのだが、地図をみるとJR高山線になっている。おかしいと目を凝らして見たら、名鉄線とJR線が平行して走っているのだった。

傘をさして土手をのんびり歩いて行くと、民家の屋根の上に小高い丘が見えて、その上にお城が見える。犬山城である。
私の持っている東海自然歩道のガイドブックは全4巻で構成されていて、第1巻が箕面から瀬田唐橋まで、第2巻はこの犬山までなのだ。全行程の半分を終わろうとしているのだ。けっこう感動してしまう。
小川に沿った細い道を歩いているのだが、けっこう車が多い。ちょうど通勤時間で、私の歩いている道は抜け道として使われているようだ。
ようやく木曽川に出る。対岸に犬山城が聳えている。今私がいるのは各務原市なのだが、木曽川を渡ると犬山市である。岐阜県から愛知県に渡ることになる。ついに愛知県まできたのか…という感動が湧いてくる。
木曽川に沿って歩いてからライン大橋を渡る。ところが、この大橋の歩道部分は工事中で、歩行者は車道を歩かなければいけないのだ。橋の上は道幅が狭くて、私のような歩行者がいると、大型車だとすれ違うのは大変だ。しかも、このライン大橋はものすごく長くて、500mもあるのだ。車に気をつけながら早足で歩く。歩道部分が工事中でなかったら、のんびり犬山城と木曽川を眺めながら歩くことができるのに…。
川下り日本ラインの終着点はこの犬山城のあたりである。昔、会社の親睦会旅行でこの日本ラインを下ったことを思い出してしまった。
日本ラインというのは大正初めに地理学者の志賀重昂が名づけたもので、急流の両岸の様子がドイツのライン川に似ているのだそうだ。
橋の上では川を眺める余裕はなくて、渡りきってようやく気持ちにゆとりが持てた。



 犬山ユースホステルへ
犬山城の壕に沿って行く


木曽川の土手を行く、行く手に犬山橋


犬山遊園地駅


東海自然歩道入口


国際ユースホステル

さて、まず犬山城に行ってみようと思う。
日本で国宝に指定されている天守閣は姫路城・彦根城・松本城、そしてこの犬山城の4つなのだ。他の国宝の天守に比較するとこの犬山城はこじんまりとしているのだが、現存する天守閣では最古のものなのだ。
ライン大橋を渡って川沿いに歩くと、坂道になる。赤い欄干のある橋をくぐってから、その上に出る。神社があるのだが、その手前にベンチが置かれていた。少し休憩したいのだが、雨が強くなって、休むこともできない。
天守に続く石段を登って拝観の受付に着いたが、閉まっていた。開館は9時からなのだ。今はまだ8時半。雨の中で待つのが嫌になって犬山城の見学は止めにした。去年、来たばかりなのであまり未練はない。

  →参考 犬山城

引き返して、神社の境内に下りて行く。
自然歩道は犬山城下の街の中を行く。堀に沿って続く遊歩道を歩いて木曽川の土手に出た。
あとは木曽川に沿って歩いて行くだけである。この土手につけられた歩道はきれいに整備されていて、雨なのに多くの市民が散歩をしていた。
土手の道に沿って旅館・ホテルが並んでいるのだが、犬山温泉という看板が眼につく。風呂だけ入れてくれるところはないのだろうかと思って歩いていたが、どこに入ろうかと迷っているうちに温泉街は終わってしまった。
犬山橋に着く。ここで名鉄の踏切を渡ると、名鉄犬山遊園駅に着く。ここからは山に向かって緩やかに登ってゆくのだ。駅の前には、東海自然歩道入口まで400mという案内があった。「自然歩道の入口」というのは変な表現だと思ったが、あとでわかったのだが、本当の自然歩道は木曽川の岸辺をそのまま歩いて行って、ユースホステルの入口で山側に入るのだ。私は遠回りしたことになる。
小さな峠を越えて、少し下ると自然歩道の指導標があった。その先には犬山のモンキーパーク遊園地があって、この施設の間を抜けて行く。広い車道に出たところで左折して、木曽川に向かって下って行く。木曽川の手前には小さな公園があって、そこには「プロムナード」という遊歩道が作られていて、その道を通って目標のユースホステルに行くことができる。
ユースホステルというのは、今は本当に少なくなってしまったのだが、私が二十歳のころ、国鉄の均一周遊券で旅行をしていたとき、宿として愛用させてもらっていた。もちろん宿泊料が安いからだったのだが、そこでは私のようにザックをかついで気ままな旅をしている仲間と会うことができて、いろんな情報交換もできたのだ。なにかしらひどくなつかしい。
犬山のユースホステルは「国際」YHなのだ。すごく立派な施設で、ここに泊まりたくなった。



 寂光院から継鹿尾山山頂へ
寂光院の入口


急な石段を登る


千体観音堂に着く


千手観音本堂


継鹿尾山山頂三角点

車道に戻って山の中の道を行くと、寂光院の入口に着く。石柱の門があって、ここから石段を登って寂光院を目指すのだ。
寂光院といったら、京都の寂光院を思うのだが、ここの寂光院も古刹である。真言宗智山派の寺で千手観音の霊場になっているのだ。本堂はすごい山の上にあって、長い石段を登らなければいけない。この参道が自然歩道でもある。
石段を登って広い駐車場に着くと、そこに建っているのは千体観音堂である。左に参拝者休憩所があったので、この中で休ませてもらった。雨だと休憩するところに苦労するのだ。
ここからさらに急な石段を登って、本堂をめざす。
ようやく本堂に着く。風格のある寺である。でも、人が誰もいなかった。こんな雨の中、高い山の上まで登ってくる物好きはいないようである。境内の一角に展望台のように張り出してるところがあって、そこには弘法大師の像がたっていた。ここからは木曽川を眺めることができるのだ。
本堂の屋根の下で少し休憩しながら考えた。私は登山のために会社を辞めてしまったので、時間がいっぱいある。なにもあせって先を急ぐ必要はない。雨の日は展望もよくないし、歩いていてもつまらない。携帯で天気予報を確認すると、明日は晴れだ。この先の継鹿尾山には東屋があるので、そこでテントを張って、明日歩いたほうがいいのではないか。そんなことを考えて、今日は休養日にしてしまうことにした。
継鹿尾山に向かった。ところがこの本堂のある境内は広くて、継鹿尾山に向かう道がわからない。地図と磁石で方向を確認しなければいけなかった。本堂の一段上に縁結びの神様の祠があって、そこに自然歩道の指導標があった。
急な登りが続く。傘をさして登ってゆくには、けっこう険しい道である。登山道の所々に石仏がたっていた。
なんどかアップダウンを繰り返して登ってゆくと、行く手に東屋らしいものが見えてきた。そこが継鹿尾山の山頂である。
山頂に着いたのは12時前であった。下の社務所で水をいっぱい汲んできたので、野営はできる。
東屋は新しくて、展望台にもなっている。木曽川が悠々と流れているのが眺められ、犬山城も見えるのだ。
東屋にテントを張った。
テントの中では読書をしたり、食事をつくったりしてのんびりしていたら、いつのまにか夜になった。結局、雨がやむことはなかった。


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