東海自然歩道 岐阜の道.


六合→谷山廃村→鍋倉山→日坂越え→和佐谷→日坂

まったく予期していなかったのだが、鍋倉山はまだ雪山であった。コースは完全に雪に埋まってしまっていて、何度も道に迷ってしまった。時間もかかった。日坂の集落ではテントを張るところがなくて、バス停の待合の中にテントを張った。
雪の中の指導標

 六合から鍋倉山山頂へ
高橋谷の入口


完全な雪道になった


廃村の谷山


雪の尾根を行く


登山小屋がある


鍋倉山山頂

BACK 美濃国分寺と池田山麓


2006年35

東屋から橋を渡って、昨日歩いてきた道に出る。そこには高橋谷に入ってゆく道があって、これが自然歩道である。緩やかに上ってゆくのだが、谷に沿ってカーブを繰り返す道である。
山に入るにつれて雪が目立つようになった。
まず目標にしているのは「谷山」という集落である。ここまでは5kmほどなので1時間余りを予定していた。ところが、雪はどんどん深くなって、完全に道をおおってしまった。
一歩ごとに足が雪にもぐるようになって、ものすごく歩きにくい。本気で輪カンジキが欲しくなった。
谷の入口から1時間20分で谷山の集落に着いた。
この村は今は廃村になっている。ところが、建っている家はしっかりしていて、人が住んでいそうな気配である。電線も引かれているから、電気も通っているのだと思う。でも、雪道の上には足跡が一つしかなかった。
ガイドブックによると、ここに人が住み始めたのは建久元年(1190年)で、平家が滅んだ数年後である。平家の落ち武者の村だったのではないかと書かれていた。全村廃村になったのは昭和41年だというのだが、それなら家々は朽ち果てているはずなのだが、今も気候のいいときには帰ってくる人が多く、そのとき野良仕事をしたり山仕事をしたりしているのだそうだ。…でも、今は完全に雪に閉ざされた村である。
この村を過ぎると、完全に足跡もなくなって、雪の上をひたすら歩いてゆく。今回の旅にはスパッツは持ってきたが、アイゼンは持ってきていない。この装備で、標高1000mの鍋倉山を越えるというのはきわめて不安である。
谷が狭まってきて、道は細くなる。
沢を渡るとそこからは急な登りになった。そこには雪に半分埋もれた自然歩道の指導標がたっていた。
雪の山道を登ってゆく。樹林の中の道で、斜面をジグザグに登るのだ。道は雪で完全に隠れているため、時々道を失ってしまう。
雪の重さで木々が道に覆いかぶさって、道を塞いでいる。ジグザグ道でターンする箇所がわかりにくい。このまま真っ直ぐに行っていいのか、ターンするのか判断に迷うのだ。何度か、ザックをおいて偵察に行かなければいけなかった。
樹林の中に入って、傾斜が緩やかになると、本当にルートの判断ができなくなる。磁石で方向を確認して、あとはカンである。
そんなことを何度も繰り返したが、なんとか登山小屋の前に着くことができた。新しい小屋で中はきれいである。もうここに泊まってしまおうかとも思ったが、今日は天気がよくて視界が開けている。もし、明日、霧に囲まれたしまったら遭難するしかない。時間も十分あるので先を急ぐことにした。
小屋からは稜線を歩いて、なんとか鍋倉山山頂に着くことができた。
ほっとした。



 鍋倉山から日坂へ下山
日坂越え


壊れた指導標


長者平との分岐の三叉路


広い道になった


林道らしき道を行く


こんな標識があった


やっと舗装道に出た


車道に出た


バス停留所、コンテナに泊まった

山頂に着いてほっとしたのだが、下りはもっと大変であった。山頂からの下りの道は一旦北に向かってすぐに鋭角に曲がって南下することになっている。この道がわからなかった。何度も付近を行き来したが道は捜しだせない。
仕方がないので、気を落ち着けるために小休止。雪の上にザックを置いて、これに腰掛ける。二万五千分の一の地図を広げて、等高線で地形を確認する。自分の持っている経験と読図の知識を総動員して、現在地を推測した。下山路であろう尾根がわかったので、強引にこれを下ることにした。
急な尾根を木につかまって一歩一歩下って行く。
200mほど行くと右から登山路らしきものが合流した。登山道はこの尾根の右をトラバースするように続いていたのだ。
登山路らしき道をどんどん下ってゆくと、道は左右に分かれているような気がする。尾根は左に曲がって続いているのだが、道らしきものは右のような気がする。困った。
地図を確認すると、尾根を600mほど下ると、そこから尾根を離れて右にジグザグに下るようになっている。それがこの地点なのかは自信がない。
ここにザックをおいて偵察に出かけた。まず尾根に沿った左の道を行く。20mほどで樹木が道をふさいで道のような気がしない。今度は右に行ってみた。これも樹林が道をふさいでいたが、急斜面を一段下ると右から道らしきものが合流してきている。
この右の道に賭けることにした。
急斜面につけられたジグザグの道は、それを忠実にたどるのは不可能である。真っ直ぐに下るしかない。木につかまってひたすら絶壁のような道を下る。これが雪でおおわれていなかったら、藪をかき分けることになって不可能だろうと思う。地図で下の地形を確認しながら日坂越えという峠をめざす。峠なので、向うの山につながる尾根を目指せばいいのだ。
足を雪に取られながら必死で下った。私はテントと寝袋を背負っているので、最悪の場合はビバークも可能である。藪は雪の下なので、時間がかかってもなんとか下まで降りることは可能だと思う。
ようやく傾斜が緩やかになったと思うところで、道らしきものを見つけた。助かったと思った。
これをたどって行くと、なんとか日坂越えに着くことができた。指導標が雪に埋まっていた。
ここで息を整えて、再び山に向かって登ってゆく。地形図ではかなり複雑な尾根を持っている。一番手前のピークに上りついて、それからは稜線を行く。右手にはかなり高い山、左にはいくつかのピークをもつ稜線が連なっている。この間についたところで道がわからなくなった。地形図と磁石でしばらく考え込んでしまった。地図上で自分が今いるところがわからない。尾根の状態、谷筋の方向、これらを地図上で検討してようやく自分がいるところを推定した。820m峰の西斜面をトラバースするのが登山道だろうと検討をつけて、道を被う樹木を掻き分けて進むと、道が現れた。
斜面につけられた道は雪に覆われ、樹木が覆いかぶさって歩きにくい。でも、道の感じはわかるので、時間をかけて進んでゆく。
和佐谷の手前でまた道を失った。眼の前に崖があって、その下を沢が流れている。この斜面を強引に下るのかと思いながら、あたりをよく見回すと、流れにかかるスノーブリッジがあった。これは橋に雪が積もっているのだとわかった。この雪の橋で対岸に渡る。
あとは谷に沿って、北を目指してひたすら下るだけである。
下るにつれて雪がやわらかくなって、一歩ごとに足がもぐるようになった。
悪戦苦闘して歩いて行ったが、ようやくアスファルトの道に出た。ほっとした。生きて帰ってきたという感じである。
地形の読み方は書物でかなり勉強はしていたのだが、今回の雪山越えで実践することになった。よくやったと自分を褒めてやりたい。
広い車道に出て、日坂川の右岸を行く。対岸に集落が見えているのだが、そこに渡る橋がない。車道をどんどん歩いて、ようやく橋を見つけた。集落に入ってすぐに自販機を見つけた。暖かいものが飲みたくて、コーンスープを買った。暖かいスープはすごくうまかった。
時間はもう
17時過ぎで、薄暗くなってきた。さて、今日はどこにテントを張ろう。
テント場を探しながら歩いて行くのだが、適当なところがない。神社の境内に張ろうかとも思ったが、明日は天気が崩れるはずである。できたら屋根のあるところに張りたいのだ。
日坂の上村から下村に着く。そうするとスクールバスの待合所が眼についた。スチールの簡易倉庫のようなもので、いちおう戸もついている。もう
18時に近くて、完全に暗くなろうとしている。もう、バスも来ないだろうからこの中にテントを張ることにした。
中でテントを張ったら、すぐに真っ暗になった。スチールの戸を閉める。
夜半から雨の音。今日、山を下っておいてよかったと思った。



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