東海自然歩道 岐阜の道.


藤森休憩所→平尾池→美濃国分寺跡→大垣市歴史民俗資料館→円興寺→山田温泉→霞間ノ渓→土岐頼忠の墓→大津谷→蘇生の泉→瑞巌寺→六合

このコースは美濃国分寺を訪ねて、それから池田山麓をゆく道である。私は史跡がすきなので、国分寺跡と隣接する歴史民俗資料館をゆっくりと見学した。
美濃国分寺

 美濃国分寺跡へ
藤森休憩所前の道を行く


行く手の県道をトンネルで渡る


平尾池


新幹線線路の土手にさえぎられる


美濃国分寺跡




現在の国分寺

BACK 関が原



2006年3月4日


テントをたたんで出発したのは8時少し前であった。
西に向かって歩いて行くのだが、梅谷の集落を過ぎると北に向かいはじめて、山が迫ってくる。
山の狭間を車道が通じている。自然歩道はこの車道に合流するが、小さなトンネルでこの車道を横切ってしまう。そこからは山道になった。樹林の中、沢に沿った道を南に下って行くと林道に出て、少し行くと大きな池があった。これが「平尾池」で、2つの池が連なっている。二つ目の池を過ぎると、少し急な下りの道になった。
唐突だが、私は東海自然歩道の昔のガイドブックを持ってきていて、自然歩道歩きではこのガイドブックを愛用しているにだ。
昭和49(1974)に創元社が発行したもので、読売新聞が編集者となっている。
最近のガイドブックはイラストや写真が満載されていて、文章は極力少なくしてある。要は「見るガイドブック」になってしまっているのだ。私がこのガイドブックが好きなのは「読ませるガイドブック」だということなのだ。
4分冊で各200ページくらいなのだが、そのなかはほとんど文章で、白黒の写真と略図がついている。過剰なくらいの周辺施設、史跡、歴史背景の説明がされていて、読んで行くと突然その集落の産業の話になってそれが延々とつづられていたりする。関が原の箇所では、その歴史背景とか、戦端が開かれてから結果まで丸々2ページ半にわたって説明したりするのだ。最近の人は、文章ばかりで小説本みたいなガイドは絶対に買わないだろうと思う。でも、私はこのガイドは本当に好きなのだ。
この30年前のガイドに記されているルートと、今のルートは違ってきていることもわかる。たとえば、私は今、美濃国分寺跡をめざして歩いている。でも昔のルートでは国分寺跡は通らないのだ。平尾池を過ぎてからはすぐに左折して小さな峠を越え、円興寺に出てしまうのだ。
私はできるだけ昔のルートを歩きたいと思っているが、国分寺跡が見たいので今のルートはきわめて都合がいい。
田畑が見えてきて平坦な道に出ると、行く手には新幹線の高架が見えてきた。
これをトンネルで渡ると広い水田が広がっている。美濃国分寺跡はもうすぐである。
以前、二百名山を登るときにこの国分寺跡に立ち寄ったことがあるのだが、今日はゆっくりと見学するつもりだ。
国分寺というのは今から1300年ほど前、聖武天皇の詔勅によって全国に建立された寺院で、その総本山は奈良の東大寺である。私は日本全国を旅しているが、国分寺には極力立ち寄ることにしているのだ。
この美濃国分寺の発掘調査は1968年から始められて、今のような公園に整備されたのは1981年なのだそうだ。
国分寺は1辺200m余りの方形の敷地のなかに塔や金堂・講堂が配置されていて、その礎石が残っている。今日は一つ一つ時間をかけて見学した。
この国分寺跡に隣接して「大垣市歴史民族資料館」がある。もちろん、ここにも立ち寄った。入館料は100円であった。
中は考古資料展示室と民俗資料展示室の二つに分かれているのだが、私が見たいのは考古資料室だけである。狭いが展示内容は充実していて、けっこう勉強になった。
この資料館を出ると、目の前に幟が乱立する派手派手しいお寺がある。驚いたことに、これが今の国分寺であった。天平ロマンにどっぷり浸かっていたのに、いきなり現実に引き戻されてしまった感じだ。



 国分寺から霞間ヶ渓へ
土手に元円願寺の石標


円興寺入口


池田温泉


霞間ノ渓に着いた

国分寺から自然歩道は北に向かって続く。左は池田山を主峰とする山塊で、この山麓を行くのだ。
集落に入ると、左に円興寺がある。立ち寄ったのだが、本堂に向かって登る石段はすごくきつかった。
円興寺は天台宗の寺院で、延暦9年(790)創建というからすごい古刹なのだ。でも、本堂は新しいもので、歴史を感じさせるものではなかった。

少し行くと車が行き交う広い道に合流したが、そこにはどんぐりの森という野外活動センターがあった。キャンプ場もあるようで、休憩所もある。この中で少し休憩した。
さて、車道を歩いて行くと、円興寺トンネルがある。トンネルの中には歩道もつけられているのだが、自然歩道は車道から左にそれて、山越えをするのだ。もちろん、山越えの道を行く。
階段の道を急登して円興寺峠に着く。樹林に囲まれて展望はきかないが、休憩のテーブルが設けられていた。峠を下って再び車道を行く。山あいの道から平野に出ると、そこには温泉の建物があった。池田温泉である。温泉に入りたいと思ったが、先を急ぐことにした。
ここからすぐのところに、目標にしていた涼雲寺があったのだが、気づかずに通り過ぎてしまった。
左には山が連なり、右には平野が広がっている。自然歩道は平野よりも少し高いところを、山襞に沿って続いていて、道は車道である。指導標がしばらくなくて、この道でいいのか心配になったりした。
霞間ヶ渓には意外と早く着くことができた。ここは桜の名所なのだが、今は蕾すらない。公園になっていて、道ばたのベンチに座って休憩した。東に広がる町々が展望できる。
さて、私が持つ昔のガイドブックでは、自然歩道はここから西に向かって山の中に入り、標高924mの池田山をかすめて垂井峠に行き、そこから北に向かって六合に着くことになっている。ところが今のルートはこのまま北上を続けて、昼飯の集落から西にコースを変えて六合に至るのだ。私は池田山に登りたいので旧ルートを行くつもりだったが、池田山の向こうで道が崩落していて、通行止めなのだそうだ。しかたがないので、今のルートを行くことにした。



 六合休憩所へ 新しい休憩舎があった


土岐頼忠の墓


粕川にかかる橋の手前で左折


蘇生の泉


瑞巌寺



粕川を渡った


ここにテントを張った

淡々と車道を歩いてゆく。右(東)の展望は開けていて、広大な茶畑が広がっている。そのむこうには濃尾平野の市街地が広がっている。北には白い山々が連なっていて、すばらしい展望の道である。
霞間ヶ渓から30分ほど歩いたところにすごく新しい休憩舎があった。休みたいという誘惑に駆られるが、それを振り切って15分ほど行くと由緒ありげなお寺があった。「禅蔵寺」といって、土岐一族の墓所があるというので立ち寄ることにした。
石垣の間につけられた石段を上がって、標識に従って墓所に着く。土岐氏は、南北朝時代から美濃国守護として勢威をふるった一族である。たしか明智光秀がこの土岐氏の流れを汲んでいたと思うのだが…。
自然歩道に戻ると、すぐに大きな谷を渡る。これが大津谷で、ここも桜の名所なのだ。大津谷公園として整備されている。休憩所もあるのだが通過した。

少し行くと粕川という大きな川が見えてきた。自然歩道は川にかかる粕川大橋の手前で左折して、川に沿って西に向かう。
田んぼの中の道を行くと、道ばたに3台ほど車が停まっている。なにかあるのかと思ったら、これが「蘇生の泉」で、水を汲んでいる人たちの車なのだ。
私も山に出かけると、その帰りでいろんな泉にであう。そうすると、必ずといっていいほど、たくさんの大きなポリタンをかかえて水汲みをしている人がいるのだ。そんなにうまい水なのかと思ってしまうのだが、彼らは必死である。後に並んでいるのに、その何本ものポリタンをいっぱいにするまで動こうとしない。日本名水というのもあるのだが、私は山でけっこうおいしい水は飲むことが多いので、こうした里の泉にはあまりこだわらないのだ。
でも、私がこの蘇生の泉の前まできたら、水汲みの人たちがちょうど立ち去ってくれた。せっかくなので、この水を汲んで今夜の炊事にあてることにした。
汲み終わってから、「生水につき煮沸して使用のこと」と書かれた看板に気がついた。まだ寒いくらいだから、大丈夫だ…と自分に言い聞かせた。
集落に入ってゆくと、自然歩道は右折して粕川を渡るのだが、直進したところに瑞巌寺がある。立ち寄って行くことにした。この寺には北朝第4代の後光巖天皇が滞在したことがあるのだ。
何かしら気品のある寺で、本堂の裏の庭園もしっとりとした趣きがある。いい寺である。このお寺で有名なのは「大岩さん」と呼ばれる巨石で、行基にまつわる伝説がある。また「開山杉」という巨木も一見の価値がある。
引き返して粕川を渡る。渡ったところには「新丁」のバス停があった。あとはこの川に沿ってひたすら歩くだけである。
両側の山が狭まって、その間を流れる粕川に沿って車道を歩いてゆく。かなり通行量が多くて、車に気をつけて歩かなければいけなかった。
途中でまた水汲みをしているのを見た。教如上人の伝説がある「潤いの泉」であった。せっかくなので、ここで今夜の野営のための水汲みをした。

六合集落までの道は本当に長く感じた。途中で酒屋さんを見つけたので、ワンカップを2本買った。今日は酒を飲むのだ。
ようやく六合の集落に入って、これを抜けると道路工事をしている。その工事区間のむこうに粕川の右岸に渡る橋があって、そこに東屋が見えた。ようやく着いた。
東屋の前でも工事をしていたが、4時半には工事を止めて誰もいなくなった。私は東屋で酒を飲みながらご飯を炊いて、のんびりと工事を眺めていた。
工事の人がいなくなったところで、東屋の中にテントを張った。
明日は鍋倉山を越えるのだ。がんばるぞ。


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