BACK 比叡山
2002年6月2日
弁財天神社からはひたすら下る。
夢見ヶ丘を過ぎると、さらに急な下りがあって、階段の歩きにくい道を行く。
谷底に下り着くと、そこに指導標があって、今浜に行く道がある。自然歩道はこの道を行かずにさらに稜線の道を行く。ここで頭にきてしまったのは、今までさんざん急な道を下ってきたのに、それと同じくらい登り返さなければいけなかったことだ。もう少し楽なコース設定はできないのかと恨みがましく思ってしまった。
疲れてしまう。
だんだん時間もたってきて、4時を過ぎている。
ようやくピークに着いて驚いた。
通行止めの標識が立っているではないか。なんでも、7月の上旬まで土砂崩れの改修工事をするため、東海自然歩道は一部区間が通行止めなのだそうだ。
ここまで来て引き返すこともできない。というのはもう4時半を過ぎていて、そんな迂回路を行ったりしていたら日が暮れてしまう。
覚悟を決めて進むことにした。
どんどん下って行く。林道に出た。
ほっとした。山の急斜面が崩れているのなら通行が本当に難しくなってしまうのだが、林道だったらなんとか通れるだろう。そのとおりで、シャベルカーが道をひっくり返していたが、無事通過。
車道を行く。途中で案内板があって、ここに旧崇福寺の跡があるのだそうだ。案内を読むと、この寺院は天智天皇のころに建立されているのだ。時間がないのだが、こうした史跡にはどうしても立ち寄りたくなってしまう。
自然歩道を離れて、10分ほど坂道を登った。公園のようになっていて、真ん中が小高くなったところに石碑が建っていた。その石碑の前には礎石が並んでいる。これが天智天皇によって建てられた寺の跡かと思うと、けっこう感動してしまう。
さらに東海自然歩道を進むと、道端に東屋のような建物がある。それが近江大仏であった。石仏で、大仏というわりには、そんなに大きいものではない。顔があどけなさをもった大仏であった。
今度は百穴古墳の案内がある。これにも立ち寄る。もう日も暮れかっていて、林の中に入ると暗い。うっそうとした林の中に石が積まれて小高くなったところがある。これが古墳なのだ。これはけっこうすごい。写真を撮ろうとしたが光の量が少なくて、いい写真は撮れなかった。
この百穴古墳を過ぎて歩いて行くと、町の中に入ってくる。このあたりは歴史保護区域になていて、親切な案内板が多く見られる。
この中を自然歩道は行く。もう6時になってしまった。
ガイドブックの終点は近江神宮前なのだが、南滋賀であきらめることにした。
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自然歩道の指導標があった
工事で通行止め
崇福寺跡
滋賀の大仏にあった石仏
百穴古墳群
町に降りてきた |