東海自然歩道 京都の道


大原の里→仰木峠→横川(横川中堂→恵心堂→元三大師堂)→玉体杉→西塔(牧水歌碑→釈迦堂→にない堂→浄土院)→山王院堂→法華総持院→戒壇院→根本中堂→比叡坂本ケーブル駅→無動寺→弁財天神社

比叡山にはお寺巡りで一度訪れていたのだが、それは根本中堂だけで、横川や西塔は入ったことがなかったのだ。東海自然歩道のおかげで比叡山の諸堂をすべて巡ることができた。

 大原から横川へ
大原から登山路に入る


比叡山への登山路


横川中堂


恵心堂





元三大師堂


元三大師堂の大津絵


BACK 鞍馬から大原へ

2002年62

三千院を出て、次に目指すのは比叡山である。
拝観に時間をかけてしまったので、もう11時半になっている。
根本中堂まで3時間、さらに近江神宮まで3時間かかる。この間、比叡山の諸堂の観光もしようと思うと、滋賀里駅に着くのは7時を過ぎてしまいそうだ。
ともかく急ぐ。集落の中を通って、叡山の登り口に着く。
田んぼの中の道の突き当たりから深い樹林の中に入り、ここから登山道が始まる。
急な山道を登って行く。路傍にはたくさんの石仏を見ることが出来た。古い歴史の道である。
なんかいいかげん疲れてきた頃に、ようやく稜線に出た。
このあたりが仰木峠かと思ったのだが、標識がない。さらに稜線を歩いて行くと、左手には琵琶湖が見えるようになった。
おかしいなと思っていたら、仰木峠は通り過ぎてしまっていた。
分岐がある。これは京都一周トレイルと東海自然歩道の分岐でトレイルは水井山を目指すのだが、自然歩道はまっすぐ横川に向かう。
このあたりで、団体とすれちがった。みんなワッペンんをつけていて、バスツァーの一行のようで30人くらいいる。琵琶湖の方から登ってきたのだそうだ。頂上はどこですかと訊かれるのだが、答えることができない。比叡山の頂上ってどこなんだろう。
道はどんどん下って行く。
心配になってきた。すさまじく急な下りになってしまって、これは道を間違えて琵琶湖に下る道に入ってしまったと思った。
谷筋に下り着いたら、そこに東海自然歩道の指導標があって、横川を指し示している。道を間違えてはいなかった。
それはよかったのだが、待っていたのは今まで下った分を取り戻す急な登りであった。
奥比叡ドライブウェイに出る。自然歩道はこの道をトンネルで潜る。
ここから少し行くと分岐があって、左に行くと横川である。
私は比叡山には何度か登っているのだが、横川を拝観したことはなかったような気がする。
今回は何としても、横川の諸堂を巡りたいと思っている。
山道を歩き、横川に着く。
横川中堂は真っ赤な色に塗られた本堂である。ここまではアスファルトの道が通っていて、観光客はこの道を歩いて来る。私は山道をきたのだが…。どうもすぐ近くに駐車場があるようなのだ。
横川中堂は昭和17年に落雷で焼失していて、今のお堂は昭和46年に再建されたものなのだ。でも、杉木立の中から見る鮮やかな朱の横川中堂はなんかとてもすてきだ。
ここから恵心堂を目指す。ここから恵心堂を目指す。このお堂は恵心僧都源信の旧跡であり、阿弥陀如来を祀り、念仏三昧の道場なのだ。源信はこのお堂で「往生要集」などを著わして、後の浄土宗や浄土真宗の源となる日本浄土教の基礎を築いたのである。見た目はどうということのない、小さなお堂なのだが…。
さらに巡って元三大師堂に向かう。ここはおみくじの発祥の地で、魔除けの角大師のお姿の護符を授与しているのだ。

角大師のお姿

本堂は古い建物で、重要文化財である。横川中堂が派手派手しい赤だったので、逆に落ち着いた感じがする。本堂には古い絵馬のような額が掛けられていて、それが大津絵なのだ。
大津絵というのも私の好きな絵の一つで、代表的な図柄は鬼の念仏なのだ。
そんなのをゆっくり見ていたのだが、時間がないことを思い出した。急いで横川中堂に戻る。



 西塔
自然歩道に戻った


比叡山ドライブウェイをトンネルで渡る


釈迦堂


にない堂


東海自然歩道の分岐まで戻って、少し行くと広い駐車場に出た。駐車場を横切って、その向こうに階段があって、これが自然歩道である。
ここからはドライブウェイに沿った遊歩道を行く。少し行くとりっぱな杉の木が見えてきて、これが玉体杉である。2本の杉が立っている。ここは西塔から横川まで尾根伝いに通る峰道のほぼ中間点なので、ここで休憩。疲れた。すぐ下をドライブウェイが通っている。比叡山の回峰行者はここで止まって、御所に向かって玉体加持(天皇の御安泰を祈る)をしたのだという。
すでに比叡山の観光スポットの真っ只中であって、観光客が多く、自然歩道のルートが本当にわかりにくくなっている。
玉体杉から西塔にむかって歩いて行くと、ドライブウェイをトンネルでくぐる。指導標に虚子の塔というのがあった。
何だろうと思って行ってみると、高浜虚子の記念碑が建っている。五輪の塔もあって、高浜虚子はこの比叡山にずいぶん居たらしいのだ。
突然に立派な伽藍の前に出た。ここが西塔といわれる一角である。
比叡山は大きく3つの伽藍群に別れている。
横川とこの西塔と、根本中堂がある東塔である。
この西塔もすばらしい堂塔で、真ん中にあるのが釈迦堂。立派である。赤い色が落ち着いている。
この境内の一角に仏足石があった。お釈迦様の足の指紋であって、きれいな文様になっている。
釈迦堂正面の石段を登って行くと、2棟の赤いお堂が建っていて、この二つの建物を高床の廊下が結んでいる。道はこの下を潜る。これが「弁慶のにない堂」である。この二つのお堂は常行堂と法華堂というのが正式な名前。
これもけっこう絵になる建物である。
こんな観光をしていると、時間がどんどん過ぎてしまう。
さらに行くと、浄土院に着く。これは伝教大師最澄の御廟なのだ。



 法華総持院
浄土院から石段を上る


法華総持院に着いた


戒壇院

浄土院前の杉木立の石段を登ると、林の中に山王院堂がたっている。正式には「法華鎮護山王院」といって、第六祖智証大師圓珍の住房だったという。
道は比叡山ドライブウェイを歩道橋で渡って、さらに進むと異様にけばけばしい建物が見えてきた。

朱塗りの回廊の中に入ると、阿弥陀堂と二重の塔がたっている。
阿弥陀堂は昭和12年(1937)に行われた比叡山開創1150年を記念して建立されたもので、檀信徒の先祖回向の道場なのだという。本尊は丈六の阿弥陀如来である。
隣に立つ塔は多宝塔によく似ているのだが二重の塔である。でも、多宝塔なのだそうだ。この塔は伝教大師最澄が日本全国6カ所の聖地に建立した宝塔を総括する多宝塔なのだが、今の塔は昭和55年(1980)に、織田信長の比叡山焼討ちから400年ということで再建されたものなのだ。中には大日如来をはじめとする五智如来が祀られたいる。
朱塗りの回廊から外に出て、すぐ前の石段を下ると落ち着いた感じの建物があった。これが戒壇院。僧侶が大乗戒を受ける比叡山中で最も重要なお堂で、伝教大師の没後七年目に勅許を受け天長5年(828)に創建されたものである。国の重要文化財なのだ。



 東塔
鐘楼


根本中堂


ケーブル駅を振り返る


弁財天神社


ここからはすぐに大講堂があって、そこに鐘楼がある。「開運平和の鐘」というのだそうで、観光客が鐘をついている。さっきから鐘の音がうるさいと思っていたら、これだった。
ここから根本中堂は近かった。石段を下る。
比叡山を代表する堂塔が見えてくる。
せっかくなので根本中堂を拝観することにした。
本堂は暗く、そこには「伝教」と書かれた額が掛けられていた。
比叡山を開山した最澄は「伝教大師」といわれる。その「伝教」の額。なぜかけっこう感激してしまった。
この本堂には灯りがともっていて、これは1200年間来絶えることなく燃えつづけている「不滅の法灯」なのだ。これってすごいと思う。
比叡山には何回も来ているのだが、根本中堂のこうした記憶はない。
なんかひどく感じ入ることが多くて、ゆっくりしてしまった。
でも、時間がない。
もう3時になってしまった。
今日はこれから、琵琶湖まで下らなければいけないのだ。
根本中堂からまず「比叡山坂本ケーブル」駅を目指す。ここでも少し道に迷ってしまった。自然歩道の指導標が見つからないのだ。ケーブルの延暦寺駅は昔風の建物である。この駅舎は昭和2年(1927)に建てられたもので、登録有形文化財に選定されているのだ。
ここからさらに進むと無動寺明王堂。ここもけっこう有名な寺で、比叡山には荒行として千日廻峰行があるのだが、その中心がこのあたりなのだ。ここの建物も重要文化財である。

ここからは、一気に急な道を下って、弁才天神社をめざす。
赤い鳥居が続いていて、下って行く側に「弁財天」額がかかっている。普通は登る方に額が掛かっているものなのだが。
弁財天は真っ赤に塗られているのかと思ったら逆に落ち着いた感じの社殿であった。


NEXT 比叡から滋賀へ

BACK 東海自然歩道 京都の道






総合TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  自己紹介



















inserted by FC2 system