ここからは車道をしばらく歩くことになり、大岩というところから右の細い道に入る。
少し登ると沢があって、これに沿って登って行く。
山道をしばらく行くと右に曲がる分岐があり、ここからは本格的な登りになる。
夜泣峠をめざすのだが、以前はすごく荒れた道で道に迷いやすいところなのだ。
夜泣峠は完全に山の中で、樹林の中のひっそりとした峠である。
今の東海自然歩道はここからまっすぐに貴船に下っていくのだが、昔はこの道がなくて、峠から稜線を北上するのだ。
道の状況がわからないのでためらっていると、登山者が一人下りてきた。
道の状況を訊くと、滝谷峠まではしっかりした道だという。安心した。
夜泣峠から北上して行く道を二の瀬ユリというのだが、まったくの山道である。
昔、私が道に迷ったというのは実はこのコースでのことである。貴船からこの二の瀬ユリを通って山幸橋まで歩いたのだが、この間の道は薮に覆われていてすごかった。踏み跡をたどりながら下っていたのだが、枯れた沢と合流して、ついこの沢に従って歩いていたら、道が消えてしまった。藪の中で悪戦苦闘して、ようやくの思いで山幸橋までたどり着いたのだ。
まだ、山のことがよくわからなかった頃のことで、この経験は強烈であった。
これは余談なのだが、やっとの思いでバス停にたどり着いたら、山登りの帰りと思われる女性も交えた5、6人のグループがバスを待っていた。
1時間以上、バスを待っていたのだが、その間に日が暮れて暗くなってしまった。
私はそのグループから少し離れたところに腰を下ろしていたのだが、そのうちに彼らは歌を歌い始めた。
今から30年前は、ハイキングとかに行ったときはけっこう歌を歌ったりしたもので、彼らのリーダーはここで歌唱指導を始めたのだ。
そのときの歌が「赤い花、白い花」という歌だった。
赤い花摘んで あの人にあげよう
あの人の胸に この花挿してあげよう
赤い花赤い花 あの人の胸に
咲いて揺れるだろう お日様のように
なんどもなんども、彼らはこの歌を繰り返して、そのメロディを覚えようとしている。
私は傍でそれを聴いていたのだが、おかげでこの歌を覚えてしまった。暗い中でこの歌を聴きながら、その日の厳しかった山のことを思っていた。
今も、山で遅くなって日が暮れかかった山道を急ぐとき、なぜかこの歌を思い出してしまうのだ。自分がまだ山のことをほとんど知らなかったときのこと、なんか懐かしいような、切ないような思いがして、
つい、この歌を口ずさんでしまうのだ。
夜泣峠から貴船までは遠かった。
途中、標高699mの貴船山の山頂を踏みたかったのだが、よくわからなかった。山頂らしきところには行ったのだが、標識はなくてケルンだけがあった。
ここからもかなり歩かなければいけなかった。
もういい加減うんざりしてきた頃に滝谷峠に着いた。
滝谷峠は貴船のかなり北にある。
ここから一気に谷底に下って行く。これが貴船川の源流になる。
沢が流れていて、道はこの水の流れと一緒になったりして、けっこう歩きにくい。
ようやく広い道に出て、川に沿って歩いて行くと大きな桂の木が立っていた。
木の横に案内板が立っていて、貴船神社の古木と書いてある。
木の後ろには神社の社殿らしい建物が見える。
これが貴船神社の奥宮であった。
ここで時間は3時になっていた。ここからさらに鞍馬山に登って、向こう側に下りて電車で帰ろうかと思っていたのだが、なんか疲れてしまった。
貴船神社の観光に時間をとって、鞍馬山は次にしてしまおうと思った。
ともかく貴船神社に参拝することにする。少し行くと、奥宮の参道にぶつかり、この奥宮を参拝した。
静かな佇まいの神社である。境内は広くて、そこに何もないのがいい。
この奥宮を後にして、杉木立の中の参道を歩いて行くと、今度は中宮に着いた。
この神社のあたりまで来ると、観光客が多くなってくる。中宮は縁結びの神社らしくて、若いカップルが何組か参拝にきていた。
参道から石段を上がって中宮の祠の前に着く。境内には天の岩舟という石があった。古い桂の木も立っている。
この中宮から少し行くと貴船の料亭街が始まって、貴船川に川床の宴席がしつらえているのが見える。
貴船神社本宮へは道から階段を登らなければいけない。
意外とこじんまりとした境内であった。
ここには見晴台のような古い建物があって、貴船川の流れを見下ろすことが出来る。
貴船川には料理屋の川床が連なっているのだが、ここから見下ろす貴船川は、小さな滝を作っていて景色としてはすばらしい。
料理屋さんが作ったのだと思うのだが、川が堰きとめられてあって、それはかなり昔からのもののようで、苔がむしている。それがけっこうすてきなのだ。
さて、時間を見ると4時少し前である。
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