東海自然歩道 京都の道


神護寺バス停→栂尾橋→西明寺(表門→本堂)→高山寺(金堂→明恵上人御廟→開山堂→遺香庵→石水院)

神護寺から鞍馬へのコースを歩くのだが、せっかくなので西明寺と高山寺に立ち寄ることにした。高山寺というと思い浮かべてしまうのがデュークエーセスの「にほんのうた」シリーズの「女ひとり」という歌で、京都大原三千院…京都栂尾高山寺…と口ずさみながら歩いてしまった。

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2002525

私が東海自然歩道を歩き始めたのは大阪に住んでいたときのことで、30年も前のことである。
東海自然歩道は厚生省が昭和
45年から48年にかけて整備をしてきたもので、私がこの東海自然歩道を歩いていたときはまだ整備の真っ最中であった。指導標も不十分だし、道そのものがほとんど獣道に近いような箇所もあったのだ。
どんなきっかけでそうなったのか忘れてしまったのだが、職場の有志で北山杉の中を歩こうということになった。
たまたま私は東海自然歩道のガイドブックを持っていて、そのなかに加茂川にかかる山幸橋から氷室に抜けるコースがあることを知って、これを皆で歩くことにした。
これが私の東海自然歩道を歩いた最初である。
ところが、最初から道がわからなかった。
畑の中の細い道なんかがコースであったりして、私のそれまでの「ハイキングコース」の認識外のものだった。
たまたま、このメンバーの中に大学で登山をしてきた人がいて、なんとか氷室までたどりつくことができた。

また、東海自然歩道を歩いた中で特に印象に残っているのは、京都北山を歩いたとき、道に迷ってひどいめにあったことである。
この4月に大阪に転勤になって、再び東海自然歩道のガイドブックを買ったのだが、どうも私の記憶しているコースと違うような気がしてならない。
北山杉を歩いたときのコースとか、道に迷って散々だったコースが新しいガイドには書かれていないのだ。
ダンボール箱につめてあった昔の本を引っ張り出して調べてみた。
昭和49年に発行された本で、ここに書かれているコースは現在のものとまったく違っていた。
現在のコースは高雄山神護寺から周山街道を北上して菩提道との合流点まで行き、そこから菩提道を南下して鷹が峰に到ることになっている。
ところが昔のコースは神護寺からまっすぐ東に向かって、「沢の池」を通ってここから北上して菩提道を横切ってそのまま京見峠に向かい、そして氷室に行く。
つまり今のコースでは氷室は通らずに、雲が畑街道を北上して夜泣峠に向かうのだ。
昔の懐かしのコースがまったく変わってしまっている。
そこで、高雄山神護寺から鞍馬の区間だけは現在の自然歩道ではなく、昔のコースを歩くことにした。

高雄山神護寺のバス停から清滝川に向かって石段を下る。
神護寺の橋の手前から右折して清滝川沿いにに歩いて行く。新緑のトンネルを行く気持ちのいい道だ。
道は川に沿って右にカーブして、300mほど行くと赤い橋が見えてくる。これが栂尾橋で、この橋を渡ると西明寺である。

槙尾西明寺。石段を緩やかに登って行くと表門に着く。両側には石灯籠が並んでいた。門をくぐると正面に本堂がある。この寺は天長年間(824〜834)に弘法大師の高弟智泉大徳が神護寺の別院として創建されたという。
今の本堂は元禄13年(1700)に徳川綱吉の生母桂昌院の寄進によって再建されたものである。

西明寺は、朝早いため他に観光客もいなくて静かに拝観できた。
西明寺から栂尾高山寺に向かう。橋を渡るとすぐに左に石段があって、これが高山寺の参道である。
高山寺は奈良字時代創建の古刹で、鎌倉時代に明恵上人が中興した。国宝「鳥獣戯画」があることで有名で、世界遺産にも登録されているのだ。でも、鳥獣戯画は東京の国立博物館に保管されているはずだが。
シンとした杉木立の中の石段を登って行く。登りきったところに金堂があった。
ここから右に折れて、少し行くと明恵上人の御廟がある。簡単な門の中に小さなお堂があるだけである。宝筺印塔もたっていた。
左に石垣と白壁の塀を見ながら下って行く。この塀の中が国宝の石水院である。まだ7時20分なので拝観することはできなかった。

高山寺はりっぱな伽藍があるというわけではなくて、これだけのものだった。
ただ、こうした静かな寺の佇まいは嫌いではない。





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バス停から石段を下る


清滝川に沿って行く


栂尾橋を渡って西明寺へ


西明寺表門


西明寺本堂


高山寺入り口


金堂への石段


左の塀の中が石水院


参道を戻ってきた


   
  




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