BACK 竹の寺から嵐山
2002年5月5日
昨日は天気が悪くてどこにも出かけなかったのだが、今日は東海自然歩道を歩くことにした。
前回は嵐山まで歩いたので、今回はその続きを歩こうと思っている。
コースを調べていたら、途中「清滝」というところがあって、ここは愛宕山の登山口になっていることがわかった。愛宕山は日本300名山である。
登ることにした。
ともかく、朝早く阪急電車に乗って、嵐山まで行った。
渡月橋を渡る。
渡月橋を境に上流が「保津川」で下流が「桂川」なのだ。
渡月橋を渡ったところで左折して、左に保津川を見ながら歩いて行く。保津川に沿って歩いて行くと、小督庵があった。小督というのは平清盛の娘であった中宮徳子に使えた女房である。宮中一の美女と謳われた琴の名手だったらしい。ところが高倉天皇は中宮徳子よりもこの小督に夢中になってしまったのだ。さらにまずいことに小督にはもう一人恋人がいて、それが清盛の五女の婿・藤原隆房だったのだ。清盛が怒り狂ったため、小督は宮中を抜け出してこの嵯峨野に身を隠したのだ。その庵がここにあったらしい。美人というのもけっこう苦労が絶えないのだ。
亀山(嵐山)公園の入り口に着く。東海自然歩道はここから石段を登って公園の中に入って行くのだ。
途中、角倉了以の銅像があるので立ち寄った。角倉了以は安土桃山時代の京都の豪商である。徳川家康の知遇を得たことから朱印船貿易を許されて、巨利を得たのだ。了以は豪商というよりは資材を投じて京都の水運に多大の貢献をした人物として有名なのだ。その保津川の工事をした人である。丹波・山城を結ぶ大堰川の疎通を行い、京都の高瀬川の開削を行ったのも了以なのだ。銅像を見ると、商人というよりは工事現場の親方のようないかつい顔をしていた。
公園の中では東海自然歩道のコースがよくわからなくて、間違えて山頂展望台まで行ってしまった。
ただ、ここからの展望はすばらしくて、遥か下に保津川の流れが見える。道を間違えてよかった。
展望台から引き返して、亀岡公園を出る。竹林の道を少し行くとトロッコ電車の駅があって、そこから少し行くと池があった。小倉池でその奥には小さな神社が見える。地図で調べたら御髪神社であった。
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