坂東三十三ヶ所巡礼.






 東松山駅から岩室観音へ
ネットカフェに泊まった


市野川を渡る


岩室間の前から見える吉見百穴


岩室観音

BACK 第10番札所 正法寺

2011522

昨夜、東松山駅に着いたのは2145分頃であった。
駅前通りを東に真っ直ぐに歩いて行くと国道に出る。この間、
1kmほどなのだがすごく長く感じた。腰は益々痛くて、足を引きずるようにして歩いて行く。国道に出たところで右折して国道を歩いて行く。すぐにネットカフェの「快活CLUB」に着いた。今夜はここに泊るのだ。8時間で1500円なら安いものである。会員登録が必要なのだが、昨年熊野古道を歩いたときに登録したカードは忘れてきたのだが、受付がパソコンで調べてくれて、新たな登録は不要だった。登録料の350円が節約できた。

今朝、ネットカフェを出たのは6時である。これから訪ねる11番札所の吉見観音まではけっこう距離があるので、納経を受け付ける8時まで2時間の余裕をもったということである。
昨夜、駅から歩いて国道にぶつかった交差点まで引き返す。昨夜はすごく長く感じたのに、今朝歩くとほんの少しの距離であった。まだ朝早いので国道を横断歩道以外のところで簡単に渡ることができた。(交通法規を守りましょう…)
市野川を渡ったすぐ先で左折する。ここに吉見百穴の古墳群があるのだ。
左折してすぐのところに岩室観音があった。高い楼門…と思ったら、この二階が観音堂になっているらしい。私が今、目指している11番札所は岩殿山安楽寺というのだが、岩殿と岩室を間違えてしまって、ここが札所かと思ったりしてしまった。11番札所は「吉見観音」というのだ。
この楼門をくぐった左右には岩窟があって、その中に石仏群がある。これは四国八十八ヶ所の石仏なのだった。




 吉見百穴から安楽寺へ
吉見百穴の見学入口


北向地蔵


いこいの森を出て札所への道


岩室観音から少先のY字路を左に行くと吉見百穴である。日本家屋風の建物があったが、これが入口なのだ。有料のようなのだが、まだ営業していなくて、塀の外から中を覗くしかできなかった。岩壁に無数の小さな穴があいていて、異様な風景である。説明板によると、ここには地下軍需工場もあったらしい。

これで吉見百穴は見たことにして字路まで引き返そうと思ったが、市民ハイキングコースの案内板があった。これによると吉見観音までハイキングコースが整備されているらしいのだ。引き返しても車道を歩くだけなので、このコースを歩くことにした。
指導標にしたがって、樹林のなかの細い道に入る。
林から抜け出すと、畑が広がる閑静な道で、小川をわたったT字路で左折。(武蔵丘)短大グランド入口のバス停を過ぎて、5分ほど行くと神社が見えてきた。八坂神社である。この手前左に「北向地蔵」があった。村の小さなお地蔵様という感じなのだが、巡礼者のための道しるべにもなっているらしい。
この地蔵堂からは広い車道を渡って直進する。すぐに「憩いの森」に入ってゆく。名前の通りの気持ちのいい森が広がっていて、ここから緩やかに下って住宅地に出る。
指導標にしたがって右折して、林に入ったりして歩いてゆくと、展望が開けてアンテナ塔のたつ丘が見えてきた。
指導標にしたがって歩いて行くと、安楽寺へは裏から入ってゆくことになった。




 安楽寺参拝
安楽寺本堂(観音堂)


納経所入口


東松山ウォーキングセンター


あやめの茂る池を左にみて、右の赤い建物の前に回りこむとこれは薬師堂であった。すぐに本堂に続く石段の前に着いた。石段の右には、りっぱな青銅の地蔵尊と阿弥陀如来像があった。

石段を上って、本堂にお参りする。この欄間にには左甚五郎作という「野荒しの虎」がある。左甚五郎の彫刻には、夜な夜な抜け出して悪さをするという伝説が多くて、この虎の彫刻にもそういう伝説があるのだ。
本堂から三重塔を見に行った。今から
350年前、寛永年間に再建されたものというのだが、白木が新しかった。
塔のすぐ横に「太子堂」があった。これは新しいものである。さらに、「三笠宮殿下御手植乃松」という石標があったが、枯れてしまったようで、小さな切り株だけがあった。

帰りは本堂から真っ直ぐ続く道を下って、仁王門をくぐった。あとは車道を歩いて駅に戻るだけである。
駅の近くでは、東松山ウォーキングセンターの建物を見つけた。この中で少し休憩した。


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●宗派/真言宗智山派 ●本尊/聖観音菩薩 ●開基/坂上田村麻呂





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