板東三十三ヶ所巡礼.






 弘明寺から鴨宮、勝福寺山門へ
JRで鴨宮に着いた


鴨宮駅北口


富士山が見えた

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2011年5月19日

次に目指すのは
5番札所の勝福寺である。
京急線弘明寺駅から横浜に向かった。この間はわずか7分。横浜でJRに乗り換えて、鴨宮駅に着いたのは11時少し前であった。
駅からは25分ほど歩かなければいけない。このために、駅から勝福寺までの地図は印刷して持ってきている。
駅から5分ほどで新幹線の高架をくぐる。閑静な住宅の間を歩いてゆくと、家並みの間に富士山が見えた。今日はすばらしくいい天気なのだ。
勝福寺はもうすぐだ…と思うころに、長い築地塀があった。これが勝福寺かと思ったら、隣の弥勒院であった。ついでに中に入ってみた。広くきれいな境内で、本堂に向かう参道に沿って石仏が並んでいる。お大師様の石像もある。これは四国八十八ヶ所の石仏なのだった。
勝福寺の門の前に着いたが、そこには「小田原(飯泉)の道祖神」があった。道祖神といったら、安曇野が有名なのだが、この道祖神も男女の神が並んでたっている姿であった。




 勝福寺参拝
勝福寺境内


本堂(観音堂)


観音堂の彫刻


仁王門から本堂を振り返る


勝福寺の山門は大きくて立派なもので、
両側に仁王像がたつ仁王門である。
宝暦8年(1758)に造営されたものだが、昭和34年に解体修理されて、このとき茅葺から銅板葺の今の姿になったらしい。この仁王像は富士の裾野で敵討ちを果たした曽我兄弟に力を与えたという伝説があるのだが、ずんぐりむっくりしていて、私にはそんなに霊験あらたかなものには見えないのだが…。
勝福寺は小田原城の鬼門を守る寺院で、普通、飯泉観音と呼ばれるらしい。
仁王門をくぐって境内に入ると、銀杏の大木に圧倒される。高さ30m、周囲7.5mで、この地に移ったとき(830年)に植えられたというから、樹齢1000年をこえる古木である。
門の正面にたつ本堂に続く参道の両側には石碑や石塔が並んでいる。これが、なにかしら由緒ふかげで、じっくりと眺めてしまった。
本堂の前に手水舎があった。この水鉢は船の形をしていて、船首には竜の彫刻がある。水鉢の船尾には船に乗っているように観音像が置かれているのだった。
手水舎のそばに、観音堂に手を合わせる二宮尊徳の銅像があった。二宮尊徳はこの近くで生まれているのだ。

手水舎の奥には鐘楼がたっている。小田原は関東鋳物の中心地で、すぐれた梵鐘が多く造られているのだ。勝福寺の梵鐘は市指定の重要文化財である。
本堂の前に立つ。本堂は赤く塗られていて、観音堂なのだ。手を合わせ読経した。
この観音堂は極彩色の彫刻で飾られている。彫刻をたんねんに観てまわった。
観音堂の左奥に大日堂があるので行ってみた、造りが変わっている。正面が二つあるのだ。東向きが大日如来、北向きが北向大師なのだという。
このそばに八角のお堂があった。「馬頭観世音堂」であった。
境内の散策を終えて最後に納経所へ行き、御朱印をもらった。


  ●宗派/古義真言宗 ●本尊/十一面観音菩薩 ●開基/弓削道鏡法師


 勝福寺から足柄駅へ
飯泉橋から望む富士山


足柄駅に着いた



帰りは来た道ではなく、小田急線の足柄駅をめざす。すぐに酒匂川の岸辺に着いた。ここからはきれいに富士山を見ることができた。私は富士山が大好きなので、富士が見えただけですごくうれしくなってしまうのだ。

飯泉橋で酒匂川を渡る。すぐに伊豆箱根鉄道の線路を渡り、足柄駅に着いた。


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