勝福寺の山門は大きくて立派なもので、両側に仁王像がたつ仁王門である。
宝暦8年(1758)に造営されたものだが、昭和34年に解体修理されて、このとき茅葺から銅板葺の今の姿になったらしい。この仁王像は富士の裾野で敵討ちを果たした曽我兄弟に力を与えたという伝説があるのだが、ずんぐりむっくりしていて、私にはそんなに霊験あらたかなものには見えないのだが…。
勝福寺は小田原城の鬼門を守る寺院で、普通、飯泉観音と呼ばれるらしい。
仁王門をくぐって境内に入ると、銀杏の大木に圧倒される。高さ30m、周囲7.5mで、この地に移ったとき(830年)に植えられたというから、樹齢1000年をこえる古木である。
門の正面にたつ本堂に続く参道の両側には石碑や石塔が並んでいる。これが、なにかしら由緒ふかげで、じっくりと眺めてしまった。
本堂の前に手水舎があった。この水鉢は船の形をしていて、船首には竜の彫刻がある。水鉢の船尾には船に乗っているように観音像が置かれているのだった。
手水舎のそばに、観音堂に手を合わせる二宮尊徳の銅像があった。二宮尊徳はこの近くで生まれているのだ。
手水舎の奥には鐘楼がたっている。小田原は関東鋳物の中心地で、すぐれた梵鐘が多く造られているのだ。勝福寺の梵鐘は市指定の重要文化財である。
本堂の前に立つ。本堂は赤く塗られていて、観音堂なのだ。手を合わせ読経した。
この観音堂は極彩色の彫刻で飾られている。彫刻をたんねんに観てまわった。
観音堂の左奥に大日堂があるので行ってみた、造りが変わっている。正面が二つあるのだ。東向きが大日如来、北向きが北向大師なのだという。
このそばに八角のお堂があった。「馬頭観世音堂」であった。
境内の散策を終えて最後に納経所へ行き、御朱印をもらった。
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